国民民主党は、一体何を目指しているのか?
自分が感じる所では「スマートさ」っぽいイメージを、ことさら希求しているように見えます。
smart
この英単語、日本においても一義に和訳されずに「スマート」という言葉で多用されますが、それにしては多義過ぎる言葉です。
まずもっとも多用されるのは「贅肉のついてない、細身の体型」という意味でしょう。これは現代においては「美的な容姿の基準」として一定のシェアを持つ価値観です。
同時に、特にビジネスやテクノロジーの分野では「賢く、効率的」という意味で「スマート」という語が用いられます。
例えば、SNSやネット広告を用いて認知を広げる手法は、あらゆる場面で「スマート」と形容されます。
玉木雄一郎は、そうした「スマート」なイメージで党勢を広げて行きたいのでしょう。だからこそ「スマートにネット広告出すためにはとにかく銭がかかるんじゃ!皆の衆、スマートに銭恵んでくれや!」と、形振りかまわず「イザリ行為」もできてしまうわけですね。

さて、「スマート」のもう一つの通義である「細身」ですが、これは色々と紙一重の危うさを含む概念です。
「日常」に足がついた範囲での「スマートになるためのダイエット」程度なら微笑ましい範疇ですが、極度に「映え」のみを意識し、身体に肉が付く事が偏執的な恐怖になってしまうと、「摂食障害」などの病へ一直線です。
国民民主党(玉木雄一郎)、この病に陥ってないですか?
山尾志桜里という「絶品のスイーツ」と一緒にピースしている写真をSNSに上げたら「太るよ!」「糖分は健康に悪いよ!」みたいなリプがいっぱいついて、慌ててトイレに駆け込んで喉に指をつっこんで吐き出す。
やってる事、これと同じですよ。
「賢さ」の意味でも、「細身」の意味でも、smartは本来「結果の一側面」として他者から評されるもの。
それが本末転倒して「スマートと評される事」が目的化すると、破滅的な不健康さに一直線となります。
「私的な事業主」である芸能人などがそこに陥る事は「悲哀の物語」の一部になり得るけど、極めて公的な存在である国政政党の振る舞いとしては看過できません。
それは、国民・有権者が抱える不安を抱きかかえたまま、よりグラグラな混沌の中へ一緒に身投げしてしまうような行為だから。
ここまでの文で書いた抽象的な表現は、ブログでも配信でも機会があるごとにより具体的な形でも述べたいと思っています。
一つ確実に言えるのは「国民民主党の利己的な〝スマート・映え〟にダラダラ付き合ったら、その先には〝栄養失調でガリガリになった瀕死の日本〟しか無くなるぞ!」という事です。





















