AERA DIGITALの配信記事。
これはむしろ「やっと〝普通〟になった」と、これまで31年間の社会人生活のうち26年を自営業という綱渡りを続ける(笑)自分でも(むしろ、なおさら?)思います。
自営業者は、何の保証も無い一方、「生活できている事自体」が〝成果〟なので、ある意味とてもわかりやすいんです。売上(そしてもっと大切な利益)が減ってきたら、営業したり、活路を模索したりして、その成否は自分でリアルタイム&ダイレクトにわかるので、(今の所尽きた事がない)気力&体力が続くうちはトライ&エラーを繰り返せる。
もちろんこれは、基本的に一人でやってる個人商店だからであって、(自分の家庭は抱えているけど)従業員を抱える形態だとまた違うと思いますが、不安定でハラハラする事はあってもストレスの種類は比較的シンプルです(経営が良くない時は、ただただそのストレスがひたすら重くなるだけ(笑))。
これはある種「100%成果主義」ではあるんですが、その一方で「組織内に過度な〝成果主義〟が持ち込まれるのは、本当にキツいだろうな」と感じます。
超々零細企業のウチでも大企業でも同じなはずですが、「仕事」の中には直近の売上などへ容易に換算できない要素も大量に含まれ、しかしそれ無しでは成立しない、将来にもつながらないものが数多く存在するのですから。
企業の中でも、そうした役割を担っている人員や部署は枚挙に暇がなく、単一的な尺度での「成果」が見えづらくても、無くしてしまうと機能不全を生むことが少なくありません。
「いわゆる成果主義」って、普遍的な仕組みに取り入れるのには全く向いていない。
基本的に社会のシステムは、成果主義をひたすら求める人に合わせて設計する必要は無いんです。そういう性分の人は、ハードルがあろうと勝手に転職したり起業したりするんですから。
「成果主義」という言葉は、むしろシステムを地道に下支えする人々・価値観を疎かにすると同時に、包括的な「経営能力」に欠けた企業人や役人の私的な「成果」のために利用されて来たと感じています。
経営には、伝統(機能の安定的な継続)と因習(機能不全)の見極めが不可欠であり、これは「保守」の本質とも一致します。
「年功序列」の中には、機能不全が惰性で残留しているケースも含まれてはいるでしょうが、一定以上の年月を職務に捧げるというのは「伝統の一部を担ってきた」事にも他なりません。
年(時間)という、絶対不可逆なものを捧げてきた「価値」って、基本的に尊ばれるのが「常識」であってほしいと思います。多くの場面で、それは「漸進の体現」の蓄積でもあるのですから。
その観点だと、年功序列って「究極の〝成果主義〟」とも言えますね。
このAERA記事で取り上げられている調査結果は、至極「まっとうな」傾向の現れとも解釈でき、そこに何かしらの「希望」の糸口があるようにも感じてなりません。






















