島田のサブちゃん論破まつり、第3弾行きますよー(第1弾、第2弾)


持統天皇は、皇位を継ぐ予定だった草璧皇子が成長するまでの中継ぎとして即位しただけ。( ー`дー´)キリッ
まず、サブちゃん事実関係の認識がとても雑で間違っています。持統天皇(鸕野讃良皇女)が、夫である天武天皇の崩御後に、息子である草壁皇子が若年だったために行ったのは「称制」(正式に即位せずに、実質的に天皇と同じ役目を担う事)です。おそらく「持統中継ぎ論」はここを足場にしているのでしょうね。
しかし、鸕野皇后の称制は中継ぎなんて呼べる穏便なものではなく、息子である草壁皇子のライバルとなる大津皇子(天武天皇の第三皇子、草壁皇子の異母弟)に謀反の疑いをかけて抹殺!これだけでも「中継ぎ」の印象はガラッと変わるでしょう。
ところが運命はさらに数奇なもので、草壁皇子も3年後に28歳で病死。その事態を経て(草壁皇子の死後に)天皇に即位しているので、島田論はそもそもの部分で間違っています。
持統天皇は、やがて草壁皇子の息子(自身の孫)である軽皇子(後の文武天皇)に継がせる意思を持って即位しましたが、その間に飛鳥浄御原令で「天皇」(初めて名乗ったのは推古天皇)の称号を法制度化し、「大嘗祭」「伊勢神宮の式年遷宮」といった、現代にまで続く重要な儀式も開始しています。
こうした功績を見れば、持統天皇は歴代天皇の中でも、「皇位〝継承〟の盤石化」に最大級の役割を果たした人物の一人に他なりません。
もし同じ功績を持つ天皇が男性だったら、絶対に「中継ぎ」などとは言われないでしょう。持統天皇を「中継ぎ」と軽んじようとするのは、男尊女卑感情に基づく色眼鏡としか言えません。絶大な実力と主体性を持つ女性の存在が怖いんだね。
もっとも島田サブちゃんは最初から、「民意としての男尊女卑感情」を〝代弁〟するためにディベートしてるという設定だものね。だけどそれって「最悪のポピュリズム」だと思う。
約140年前の放言に反論していると、現代の様々な政治家や言論人の顔がオーバーラップして来るのが、なんとも不思議というか滑稽というか、とにかくクラクラしてきちゃう。
シリーズ、さらに続きます。





















