公論サポーター・メーリスから、
ともピーさんのご意見紹介です!
こんにちは!
先週、金曜ロードショーの録画で「火垂るの墓」を初めて見てしまったのですが辛気臭すぎました。一部早送りで見たため途中のストーリーが理解できていないところがありますが、見終わった後に気持ちがかなりどんよりしまして。
そこで、家族に向けて「これ辛気臭すぎるでしょ、戦争が悲惨なのはわかり切ってるんだから、これ見ても結局、戦争とかなくならないし」と鬱憤の吐口として喋っていたところ、娘からちょっといま宿題やってるからうるさいと言われました…小6はもう大人ですね。
火垂るの墓のストーリーは、戦争映画というより大人たちのネグレクト問題の映画なんでないかい?と思いまして。親戚の叔母がしっかり預かったお兄ちゃんと妹を受け止めて家に置いて、愛情を持って接していればそんな、そこまで悲惨な状況に陥らずに済んだのは間違いなくて。戦争が言い訳になるのでしょうか?自分はそれはちょっと違うだろうと思っています。
レイテ沖の海戦で散っていったと思われるお兄ちゃんと妹の父親が生きていたら、結果的に子供達を見放したとも言える叔母などを許すとは到底思えないです。
病気の妹を抱えて腹を空かせていたお兄ちゃんはやむなく、近所の畑を荒らして食糧を確保しますが、それ見つけて捕まえて容赦なく殴り続けるおっさんもどうかしてるとしか思えないです。戦時であっても私刑として子供を殴るのは犯罪でしょうし、映画の中でも殴ったおっさんは警察から咎められていましたが。
不寛容や無関心が人を不幸にする、社会を機能不全に陥らせるという、そういう話であって、これは戦時という設定でなくても語れるはずです。
大人のネグレクトをテーマにして不遇の中にも子供達だけの世界観で世の中を見た時の束の間の幸せな時間も描いている映画として「誰も知らない」があります。2004年の是枝監督の映画です。こちらはストレートに「ネグレクト」をテーマにしていて誤魔化しがないので感情移入していけます。
でも「火垂るの墓」は無理です。戦時だから不寛容が際立っていたということはあるかもしれませんが、「戦争は悲惨」に無理矢理つなげることによって本質的な部分の「大人達のネグレクト」が霞んでしまっているという意味で悪質です。ネグレクトも仕方ないくらいな状況に戦争が追い込んだのだと言い訳がしたいのかもしれませんが。
こんな辛気臭いアニメには感情移入できないわけで、あまりの辛気臭さに途中からストーリーを見失わない程度に早送りしてしまいました。
これを終戦記念日の度に見ていたら日本がした戦争は全て間違っていたと勘違いして断罪する人や日本人であること自体が嫌になる人が出てくるのは当たり前だな…と思います。
レイテ沖で戦った父親が守りたかったものは日本という国だったはずですし、お兄ちゃんと妹も守りたい人だったはずです。叔母も守ろうとしていたとも言えます、郷土のお世話になった人達のために戦ったとも言えます。未来の子供たちのために戦ったとも言えます。よって子供達を守れなかった、本気で守ろうとしなかった叔母やその周りの大人達の罪は重いです。
「戦争は悲惨」だけを言いたいがために可哀そうな子供たちを出汁に使って大人達のネグレクトを戦争のせいにして誤魔化したアニメであり公のために大東亜戦争で戦って散っていった英霊達を侮辱していると言っても過言ではないと思います。
この映画はレイテ沖の海戦で敵と戦った父親の様子を描写すべきでした。
「戦争論」や「卑怯者の島」を読んだ私が予想しますが、父親はこう言って散っていったでしょう。
「七生報国、我、魂を靖国に還さん!」
と言って、その拳を空高くに掲げて誇らしく散っていったはずです。
そして、レイテ沖で何機もの零戦が米軍の海軍戦艦に向かって神風特攻をしていった様子を、それに恐れおののく米兵の様子を
それを描くべきだった!
辛気臭すぎる「火垂るの墓」は個人的にはもう二度と見ません、こんなの何度も見たら心を病みます…ウォーギルトインフォメーションプログラムの一環として製作された映画なのかよって話で。
「戦争論」は公と個をめぐる思想をベースに壮大なストーリーを戦争という題材から紡ぎ出します。スケール感が違います、読んでいて爽快ですし勉強になるので終戦記念日あたりには私はやはり「戦争論」を読むことを日本人のみなさんにお勧めしたいと思います。
高畑勲監督の生前のインタビューを見ると、『火垂るの墓』は「反戦映画」として作ったわけじゃなく、たとえ戦時中でなく、現代においても、兄妹をネグレクトした「西宮のおばさん」のような大人には誰でもなりうるということを描きたかった、みたいなことも言っていたので、ともピーさんの印象は確かに当たっていると思います。
とはいえ、監督の意向がどうであったにしても、この映画はひたすら「反戦映画」として使われているわけだし、辛気臭くてたまらんということについては、全く間違いありません。
私はというと、『となりのトトロ』との2本立てロードショーで見て、そのときはまだサヨクくさい学生だったにもかかわらず、「この兄貴の自業自得じゃないか!」と思ってドッチラけてしまい、それ以来二度と見ていません。




















