うちの次女はボーイスカウトに入っているのですが(現在、ボーイスカウトは男女混合です)、先日参加した合宿で、グループで議論して発表する時間があり、テーマは「少子化」だったそうです。
私はナチュラルに「おー、どんな対策を提案したの?」と聞いたのですが、返ってきた答えは「そういうんじゃなく、地域の伝統文化の担い手などがいなくなる事をどうするか話した」というものでした。
感心すると同時に、「少子化対策=人口増への施策」という自分の貧相で凝り固まった発想が恥ずかしくなってしまいました。平成生まれの10代の子らの方が、文化や精神性の継承を真っ先に重要視してテーマに選んでるんですから。
娘らの世代は、10代の貴重な時期に、コロナ騒動で様々な体験を「我々大人が〝失わせてしまった〟」世代。
目先の状況・情報に大人が右往左往して、選挙でも即物的なスローガンばかりが喧伝される中、むしろ今の10代のほうが、喪失させられた空白の中に本質的なものを見出しているのかもしれません。
我々大人がすべき事は、上から目線で「教えてやる」ような事ではなく、彼らが本格的に希求と行動を始める際に、その足場や原資となる国力を少しでも強固に、豊かにできるよう、身を粉にして働く事なのでしょう。
それこそが命の使い道!
「氷河期」「ロスジェネ」といった、被害者的な呼称はとっとと返上しよう。生物学的な「産む時期」は終わりつつあっても、まだまだ「生み」「育て」られるものは山ほどあって、その情熱こそが歴史の縦軸をつなぐんだ。





















