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大須賀淳
2025.10.7 20:26その他ニュース

老いとSNS

「オドレら正気か?LIVE in 岡山」があまりに充実していたため、終了後もふとした時間に、派生も含めた様々なテーマが脳から溢れ続けています。

 

その中の一つが「老いとSNS」。

 

現状でもSNSはとっくに「若者のメディア」などではなく、高齢者ユーザーも大勢いる状況。むしろ、今のような形のSNSに最後までしがみつくのは、その登場時から使ってきた、現在の我々中年世代なのかもしれません(前身となる「パソコン通信」時代のボリュームゾーンは、もう60代に突入する辺りですね)。

 

SNSは極めて「身体性が薄く、一方で脳と直結したメディア」なので(それが現在の「醜態的側面」にもつながる)、老いや病で身体の自由度が右肩下がりになっても、意識が続く比較的ギリギリまで利用され続ける可能性があります。

 

それに基づき、いくつか「未来予測」してみます。

 

●「認知症ポスト」の問題

まもなく50歳になる私の世代でさえ、小学生の時にファミコンブーム、それ以降、携帯電話、パソコン、スマホと(ネットワークの巨大化と共に)ずっとデジタルツールを使い続けてきた「デジタルネイティブ」。きっとこの先、認知症になる事があっても、デバイスの「操作」は行えちゃう気がしています。

 

そうなると、今後SNSには「認知症ポスト」がどんどん増える事が予想されます。

 

現在でさえ「匿名性」によって薄まった理性のタガが外れた暴言・汚言が流布していますが、それとは比較にならないレベルで凶暴な「認知症ポスト」が大量生産されて撒き散らされる可能性が。

 

一方、そうした事態の進行によってデータが溜まると、システム側が「このユーザーは認知症である」と判断し、発言が他のユーザーに表示されにくくなるという対処がとられるかもしれません。全くの無反応であるための満足度低下→離脱を避けるために、認知症認定されたユーザー同士でだけ互いに表示される、悪夢的エコーチェンバーの中に隔離される可能性も。

 

もっとも、コロナ騒動下でのYouTubeに代表されるように、プラットフォーム内の「言論統制・コントロール」は規模の大小とわず簡単に行えるので、結局は現在とあまり変わらないのかもしれません。

 

●AIボットによる「不老不死」

SNS上のアカウントも「自我の分身」の一つである以上、そこには「不老不死願望」も反映されるはず。特に匿名アカウントであれば、その「自我の分身」は身体の生死とも、法律的な生死とも直接リンクしていないので、とても「不老不死」が実現しやすい性質を持っています。

 

現在でさえ(「ねこささやなぎの閑話休題」でやったイタコネタのように)生成AIとチャットによる「会話」が出来てしまうのですから、過去のSNS投稿を全て学習した上で「いかにも〝その人〟がしているような発言を自動投稿するボット」は、現時点でさえ作る事が可能なはずです。

 

そこにリアルな画像生成も加われば、「本物」の死後も、旅行やイベント参加などの投稿を写真つきで投稿し続けることが可能。一歩間違うと、物理的な現実世界よりも「情報量が多い」事になってしまうかもしれません。

 

生成AIボットが投稿した「120歳の🎂です〜」という投稿に、生成AIボットが「セカカン(※セカンド還暦。もちろん造語)おめでとー」と反応する連鎖が続く世界。

 

もっとも、テキストのみならずリアルな生成動画まで伴ったフェイク情報は今も毎日拡散され続けているので、結局は現在とあまり変わらないのかもしれません。

 

●広告モデル崩壊に伴う消滅

ここで「そもそも論」を持ち出すと、SNSというシステムは運営資金の大半を「広告収入」に頼っています。

 

まだ「若いシニア」に対しては、「終活関連商品」などを広告する余地がありますが、消費行動が大幅に低下する後期高齢者に向けてなどは「有効な広告」も非常に限られたものとなります。

 

そうした、運営元にとって「利用価値の低いユーザー」ばかりになったら、例えば「定年制」のようなものでアカウントを「卒業」させられたり、はたまた収益悪化で多くのSNSが消滅してしまうかもしれません。

 

もっとも、そんな「砂上の楼閣」における有象無象の罵詈雑言が現実の政治にまで影響を与えてしまうこの世界の危うさは、結局は現在とあまり変わらないのかもしれません。

 

●結論

結局は現在とあまり変わらないのかもしれません。

 

…で終わるのは、あまりにもなので(笑)

 

同じ「幻想が現実に影響する」のでも、これなら「病は気から」によるプラセボ効果の方が、よほど有益と言えそうですね。

 

人間という存在は、「物理的な身体の生命」と「自我という内的な生命」、そして「物語という社会的な生命」の中に在るという構造は、どんな時代・状況においても

あまり変わらないのかもしれません。

大須賀淳

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