これは、9月上旬に出張で羽田空港に行った際に、思わず撮ってしまった「麻生グループ」の広告。

硬茹での「バリカタ」があるとんこつラーメンと、「かろのうろん」に代表される柔らかい博多うどんの対比を用いた企業イメージ広告。よく出来ていますよね。「カタくて、やわらかくて、ちょうどいい。麻生グループです。」というコピーなんか、非常に幅広い事業を手掛ける麻生グループの広告として、大変秀逸な仕上がりです。
それにしても、撮影から約1ヶ月の時点で改めて見ると、「麻生グループ」という名称が、やけに意味深に見えてしまう(笑)。
「融通無碍」という言葉は、「ちょうどいい」を実現するための知恵に立脚する精神性です。
これは一見「癒し系」の言葉に見えますが(だから、広告における絶好の素材にもなり得る)、実はその本質は「兵器」(価値観の対立において、一つ上のレイヤーに立つことで支配的構造を固める戦略)なのですよね。
皇室・皇統が存続してきたのは、その根底に「融通無碍という兵器」を携えて来たが故の結果だと私は捉えています。
一方、その「兵器」は時代と共に認知を深め、物理的な兵器がそうであるように、リバースエンジニアリング(解析・研究)されて、他勢力によるコピー品が生み出される状況にまで至ってしまった。
大東亜戦争で日本に壊滅的なダメージを与える事に寄与したアメリカ爆撃機「B-29」は、その後の冷戦の中で、旧ソ連によってリバースエンジニアリングされて「Tu-4」というコピー爆撃機が生産されるに至っています。
「兵器」は、本質的にはイデオロギーや精神性と遊離した場所にあり、設計主義的なコピーも可能になってしまう。
昨今の宮家創設等を巡る出来事で、皇統の「しなやかさ」を保ってきた「融通無碍」が、似て非なる「ご都合主義」に転用されてしまいかねない危惧も大幅に増加したと感じます。
そうした流れの中で、よしりん先生が「神功皇后論」に歩を進めたのは、あまりにも胸熱過ぎる。作中の一つ一つの表現まで、「愛子天皇論では包括できない領域」までを克明に「漫画作品として実体化」されているのを、ロジックから皮膚感覚に至るまで感じる。
麻生太郎は「漫画好きの政治家」という事になっていますが、神宮皇后論を「読めない」としたら、それは漫画という形態の表層の快楽をただ貪るだけの消費者に過ぎなかったという事。あー、単行本化待てない。せめてもの行動で、麻生太郎に神宮皇后論の切り抜きを送ろう。今、決めた。
さて、ここまで高市早苗の名前を出さずに「麻生」ベースで書いているのは、「皇位継承対応、麻生氏に 高市自民総裁」という報道を受けてのものです。
高市早苗に、本当に皇統問題に対する想いがあるのだったら、自ら陣頭に立つ以外の選択肢などあろうはずがありません。
それを、「世辞に長けた調整役のおっさん」に丸投げしてしまうのであれば、高市早苗にとって天皇・皇室なんて「保守ブリッコの大衆にウケを取るためのツール」でしかなかったんだな、としか思えません。
「皇統問題に関する優先度、何でそんなに低いんだよ!そんな輩、俺は信じないぞ!」
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これは高市早苗だけでなく、野党(そして、今は議席を得られていない人)も含めた全ての政治家に向けた私の本音です。





















