私がよしりん先生の思想に感銘をうけたのは、先生の漫画の弱肉強食の世界での体験を通じて思想したことが面白くて、ものすごく納得できたからです。作品を通して学んだこと、考えたことを糧に私は生きてきたし、今、自分の命を手段にして公論イベントを盛り上げているのは先生の思想の影響に他なりません。
先生の思想から、個人主義とはどういうことかわかるし、表現の自由があることでエンタメは盛り上がるし、自由の重要さも痛感してきたし、作品を通して保守思想へと変化していく過程を見てきたから、よしりん先生が語る保守思想に感銘を受けてきたのだと思います。
そして、弱肉強食でも戦い抜く強靭さと、それはゼロからの創造ではなく、先人からの恩恵だとするよしりん先生の保守思想に、私は強く共鳴します。
先生の思想を踏まえると、江戸時代の吉原文化って本当にすごいなって思う。売られてきた、社会的には一番の弱者の女が教養を身につけて花魁になれば尊敬される対象になるのだもの。そんなの他の国にはない。やっぱりすごい。
吉原に売られた子は「自分が吉原に行けば家族を餓死から救える」という本人の意思があったでしょう。もちろんわからないで連れてこられた子もいるでしょうが、現代は多様な職業があり、お金を出せばご飯を食べられる恵まれすぎた時代に生きている現代人が吉原の文化を批判する資格などない。
キャンセルカルチャーするならリベラルというのは左翼が変質したものと思いました。
保守とは何か、リベラルとは何かの定義をいくら議論しても、左翼がリベラルと呼ばれるようになったように、エセ保守のことを「保守」と誰もが呼ぶようになっていては、よしりん先生が主張してきた真の「保守思想」というものから変質してしまったのが現実です。エセ保守のことを保守って呼ぶのは本当に嫌だ。腹立たしい。やめてほしい。でも、言葉の意味が変わっていくことは時代の流れでもあるから止められないと思います。
男系派は「女の血は穢れている」「女は男より劣っている」という男尊女卑の因習を次世代にも繰り越そうとしています。そんなものは容認できないし、残してはならない。男尊女卑の因習を乗り越えていくのは男系派も含めて大人の責任です。男系派や高石早苗が因習を乗り越えて「愛子天皇誕生賛成」と言えば、大いに賛美しましょう。
私はよしりん先生の保守思想を日本中に広め、残していきたいと思っています。それが日本の明るい未来につながると強く信じています。
「保守」という言葉の意味が変わってしまった今、先生の保守思想を世の中にはっきりと伝えることができるのは「愛子天皇誕生が実現したとき」と思っています。
愛子天皇誕生のためには、「男系が伝統」という言葉を使ったら徹底的に批判される空気を作ること、
そのためにゴー宣DOJO、公論イベントの影響力をもっと強くして世の中にインパクトを与えたいというのが私の野望です。




















