朝日新聞「交論」で、上野千鶴子が「女性首相」について語っていた。
上野の主張は、女は弱者、男は強者であり、
女が弱者のまま尊重される社会であってほしいというものだ。
これに深くうなずく女性が多いのかもしれないが、
私は、自分を「弱者」と言いたがる自己卑下なんてやめてほしいと思う。
「男のようになれ」なんてまったく思わないけど、
女としての誇りはないの? と苛立ってしまう。
さらに、そんな社会主義のような実現不可能そうな世界を夢見て
唱え続けたところで、なにを変えられるんだとも言いたくなる。
日本には、女の長老が、女の王が、女の天皇が、偉大な活躍をなして
国の形を作ってきたという歴史がせっかくあるのに。
日本の目下の現実に着目すれば、
《日本の象徴であるはずの天皇に、「女性だからなれない」
という制度が残されている。
しかもそれは明治時代に作られたものでしかない。
そのために今、天皇陛下のお子様である愛子様が、
皇太子になれないといういびつな状態が発生している》
というフェミニズムとしてこれ以上ない格好の課題が
横たわっているじゃないか。
これを解決すれば、男尊女卑を崩壊させて、日本の女性の立場は
たちまち向上すると、簡単に予測がつく。
なのに、そこに目がいかないなんてもったいない。
上野は、フォークランド紛争に臨んだサッチャーについて、
「強さを追及した政治家」「男以上に男らしくふるまう傾向」という
切り口で否定的に語っていた。
英国ではサッチャー政権を歓迎したフェミニストはいなかったらしい。
へー、と思ったが、それってフェミニズムだけで語れる話なのかとも思う。
そもそも戦争において軍を指揮するのに女も男もあるのか?
高市首相在任中に、台湾進攻がはじまったら?
大前提として、
「戦争なんてコワ~イ、絶対ありえな~い」という幼稚な感覚しかなく、
「強さ」「弱さ」「男vs女」で語ってしまうのが問題だと思う。
日本のフェミニズムは、女性を「弱者」と規定している限り、
いつまでも進歩しないと思う。
さらに、属国根性に一切気づいていないところが、
フェミニズムに限らず、すべての議論・現象の限界点だとも思う。
「ガラスの天井」とはよく言われるけれど、
日本はガラスの上が、さらに鉛の天井に全体を覆われていて、
誰も、な~んにも、見えていないんじゃないかと思う。




















