ゴー宣DOJO
「そもそも保守とリベラルの差って何だ?」
開催から1週間。
公論サポーター・daiさんの
ご意見を紹介します!
先日のゴー宣DOJOお疲れさまでした。
保守とリベラルについて、勉強になりました。まだまだですが、感覚としては少しは理解が深まったかなと思います。ただ、慰安婦や吉原について、よしりん先生と山尾先生、森先生との間で考えの相違があって、それについて述べさせていただきます。
これは「保守とリベラルの違い」と言う向きもあるでしょう。しかし、僕は「リベラルだって、慰安所や吉原を評価できる」と考えています。というのも、これらの評価は冷静に分析すれば、よしりん先生の言う通りとしか言えないんです。
吉原は売春の場にとどまらず、文化的な面で大きな役割を果たしたのは事実だし、慰安所にしても、野放しにせず、軍がきちんと管理し、性病の蔓延や業者による不当な搾取を防いでいたところは評価すべきことでしょう。
一方で売られてきた彼女たちが苦難の道を歩んでいたことは事実です。また、リベラルは僕が観る限りだと、現状をどう変えていくかと考えている以上、「現在」に非常に強い関心を持っているように思えます。そうなるとつい、「現在」の価値観で過去を判断するようになっちゃうのでしょうが、これは「リベラル」の本質ではなく、単に思考のクセからくる「習性」のようなものです。
小林よしのりは、彼女たちの苦難は十分に承知しているし、ましてやこの現代において、例えば人身売買を復活させろなどとは夢にも思っていません。過去と現在の状況の違いをきちんと吟味したうえでの評価だから、これをもって、女性の人権を無視しているなどとは言えないです。
要はそこだけなんですよ。昔は女性を解放しうる「人権」なんて思想は皆無だったし、当然国民の側にもその思想を受け入れられなかったでしょう。また、彼女たち一人一人を救うだけの経済的余裕は国にはありませんでした。このような中で山尾先生の言うような女性の視点といったところで、出てくる言葉はせいぜい「仕方がない」ってことぐらいでしょう。リベラルがどう頑張ったって、過去の女性を救えるわけがないから、そこはあきらめるしかありません。また、過去の限界を承知したうえでの評価であれば、それが現在において、「自由」を妨害するようなことにはならないから、リベラルがその評価に反対する理由など皆無なのです。
僕は「リベラル」が「現在」の価値観で過去を判断することを「習性」だといいました。ある意味先生方に失礼だったかもしれませんが、ここは強めに批判させていただきます。先日笹師範が言ったように「現在の普遍的な価値」は100年後は違うかもしれません。僕は10年後ですら違うかもしれないと思いますが、もしかしたら「リベラル」はそういう視点が無いゆえに、そこへの危機感に欠けているかもしれないと思いました。
現在「リベラル」が落ち目なのは、国民にその思想を受け入れるだけの余裕がなくなったからだと思います。SNSのせいとかもあるかもしれませんが、なによりも国力が落ちてきたことが大きいでしょう。また、国民も自分の生活に余裕がないから、自分が!自分が!ってなっちゃう。そういう意味では現在の「普遍的な価値」は消えることはないにしても、忘れ去られる恐れはあると言えるかもしれません。
僕は、「時の流れ」を非常に怖いものだと思っています。「一億総中流」が当然だったのが、いつの間にか「新自由主義」となり、さらに現在は「日本人ファースト」という考えも出てきている。流れの渦中にいれば、こういう思想の変遷に気づかずに翻弄されてしまいそうです。でも、僕は「リベラル」にはずっとその存在感を発揮してほしいと思うので、「習性」を捨て、「普遍的な価値」を絶対的なものと考えないでほしいと思います。
「普遍的な価値」を絶対的なもの
と考えてしまう「習性」を持った
リベラルの人は、そもそも
「普遍的な価値」って何か?
そんなものあるのか?という疑問を
持ってほしいし、それが無理ならせめて
「タイムマシンは存在しない」ということだけでも
理解したうえでモノを考えてほしいものだと
思ってしまいます。
連休中に、ぜひ見よう!




















