<本家コロナ真理教の人々⑧>byカイジロウ
【誰かを信じるのか】
私はこれまで反自粛、反マスク、反ワクチンの論考を書いてきましたが、これらの感染対策が科学的に無効、ないし逆効果であることは医学の素人でも到達できる事実です。しかしこれらを止めさせることはまた別の問題であって、それは「医学は宗教」という考察にも繋がります。イスラム教徒に豚肉を食べさせられないのと同様に、人々の医学礼賛を止めることは不可能です。
この感染対策の欺瞞に気付いた方は、誰か頭の良い、偉い指導者が、この馬鹿げた対策を止めてくれるとお思いでしょうか? もしそのようにお考えならば、それは幻想です。なぜなら私たちは多数決が正義の民主主義国家に生きているからであって、自粛も、マスクも、ワクチンも、国民の切望の上に成立した施策だからです。政治家も医者も非科学のアホだと私も思いますが、結局我々も彼らを信じたアホな訳で、その誰かを根拠なく信じるという習性を捨てない以上、馬鹿げた対策は止められません。コロナワクチンは史上最悪の薬害ですが、中止にはもっと多くの時間と犠牲が必要なのでしょう。
科学が人類最上位の概念とは私も思いませんけれど、その再現性は人間の共通認識として有効に機能します。天動説が迷信であることを、私は惑星の動き等から説明出来ますし、それと同じように感染者数のデータから感染対策が無意味だとか、抗原原罪や免疫抑制からワクチンが無効で有害だとか、その機序を説明出来ます。また製薬会社が切取りデータを使うとか、医学者がデータを捏造するとか、医者が誤りを認めないとか、これらは倫理的な問題とは言え、利己的な人間の営みとして当然と説明出来ます。わざわざ陰謀論を持ち出さなくても不思議なことは何も起こっておらず、ただ資本主義・民主主義社会に科学や倫理がないことを再確認するばかりです。
ワクチン接種者の多くは今、その過去をなかったことにしているでしょうが、これではワクチンが終わるはずありません。このような馬鹿げた施策を止めるためにはどう考えても大勢の接種者の怒りと反省が必要ですが、多くの日本人は何より自分の過ちを認めたくないのです。
民主主義社会の施策は結局多数決です。そしてその有権者が「次は誰を信じるのか」と傍観している以上、馬鹿げた施策が終わることはないのです。
『コロナ真理教の人々』『新コロナ真理教の人々』全リスト
<本家コロナ真理教の人々>
⓪ご挨拶
➀感染症専門家たち
②科学的見地からのマスク
③恐怖ポルノとしてのマスク
④モラルとしてのマスク
⑤人流制限に意味はあったのか
⑥面会制限は効果的か
⑦新しい歴史教科書を作る
多くの有権者が安倍晋三を信じ、
それが正しかったのかどうかを
一切総括しないまま、今度は
高市早苗を信じていて、
明らかに間違ったことを言っていても
信じ続けているという現状を見ると、
馬鹿げた施策が終わることは決してない
という結論しか出なくなっちゃいますが、
果たしてそれでいいのでしょうか…?





















