飛鳥時代の人物、蘇我入鹿を知らない人はいないだろう。
かつて、
採用した蔑称で、本名ではない、とする学説があった(
しかし古代史上、蘇我入鹿以外にも「入鹿」
またイルカは、
だから、
(坂本太郎氏・加藤謙吉氏・塚口義信氏・
ならば、入鹿が本名であっても、
また別に「鞍作(くらつくり)」
これは恐らく、入鹿の養育に鞍作氏
(6・
『家伝』(鎌足伝)には「宗我大郎(
これは無論、
ここまでは、
ところが、『日本書紀』
入鹿が「林臣(はやしのおみ)」
更に『上宮聖徳法王帝説』
との記述がある。
これは一体、何故か。
この点については、既に“
との推定がなされている(
林臣氏は、武内宿禰(
この推定に従うべきだろう。
私は先に、物部弓削守屋の姓に「
母が弓削氏の女性だった(『先代旧事本紀』)
指摘した。
守屋は、『播磨国風土記』には「
とも記されている。
こちらでは、
かかる事実とも考え合わせて、
入鹿の「林臣」「林太郎」
母方の姓による呼称と見るべきだろう。
即ち、




















