安倍首相は国連総会の一般討論演説で、
来年の国連創設70周年を控え、安全保障理事会の
常任理事国入りへの意欲をアピールした。
わが国として当然の主張と受け止めた人も多いかも知れない。
だが、もしそれが本気なら、相応の覚悟が求められる。
国連安保理の常任理事国を目指すのは、
世界中の国際紛争の「当事者」として名乗りをあげるに等しい。
その場合、言うまでもなく、
しかるべき「軍事的」当事者能力を備えていなければならない。
現に、現在の常任理事国5ヵ国
(アメリカ、イギリス、フランス、中国、ロシア)は
全て核保有国ばかり。
日本も「普通」の常任理事国になるには当然、核武装が必要となろう。
更に、「限定的」集団的自衛権などではなく、
限定無しの集団的自衛権の行使は勿論、
集団安全保障にも加われる国内条件の整備が最低限の前提となる。
他国に集団安全保障への参加を求める立場だから、当たり前だ。
ところが、安倍首相はそれらについて、
これまで繰り返し憲法改正が不可欠と明言している。
ならば順序として、
常任理事国入りの前に憲法改正を実現しなければならない。
また、自衛隊もアメリカ軍などと共に、
世界各地の紛争に介入するようになるのだから、
戦死者が次々と出る事態についても、
予め国内のコンセンサスを形作っておく必要があろう。
もし、そうした覚悟を求めないまま常任理事国入りを進めるなら、
これほど国民を馬鹿にした話はない。
それからもう1つ。
国連(United Nations)は、
先の大戦の戦勝国=連合国(United Nations)
による戦後世界統治のための仕組み。
だから、その存立の基盤は連合国史観=東京裁判史観だ。
国連憲章の「敵国」条項
(70年近く経った今も削除されていない!)は
その事実を端的に示す。
日本が常任理事国入りする際、その歴史観との対決は避けられない。
東京裁判史観に最終的かつ全面的に屈服するか、
それとも戦争以外の手段でその歴史観を覆すことができるか、
或いはわが国にだけ独自の歴史観を認めさせるか。
かなり困難な局面に立たされることは、容易く予想できる。
常任理事国入りは、厳しい試練に立ち向かう覚悟もなく、
軽々しく語り得るテーマではない。