昨日、「SAPIO」連載の『大東亜論』コンテを描き上げて、
気力を使いすぎたのか、今日は全然仕事がはかどらない。
だが、歴史漫画を描くコツを毎回、会得している感がある。
今日発売の「SAPIO」の特集「戦争は血が滾るから恐ろしい」
は、わしが聞いてたときよりタイトル表現がまともになった。
いいことだと思う。
最初聞いたタイトルはもっと好戦的だった。
だが山内昌之氏の文章はいきなり好戦的で、善悪二元論の見本。
12年前のイラク戦争のときは、中東の民主化に懐疑的な意見を
持つ人かと思っていたが、時代風潮に流されて考えが
欧米化したようだ。
単純にイスラム国=悪と断定して、これを潰せば平和が来ると
思い込んでいる。
フセイン政権=悪として崩壊させた反省がないから、教訓も
得られない。
タリバン=悪とした反省もないから、教訓が得られない。
北ベトナム=悪とした反省もないから、教訓が得られない。
日本=悪としたことは、大正解だったと思っているから、
アメリカはその後の侵略に次々失敗する。
侵略ばっかりして反省しないアメリカと価値観を同じにして
しまって日本人として恥ずかしくないのか?
中東に欧米が関与するたびに悪化しているのだから、
日本はなるべく等閑視しておくのが一番いいのだ。
日本は善悪二元論ではなく、日本独自の道義で、裁定する
主体性を確立したら、出ていけばいい。
その日本人の主体性の問題を、『大東亜論』で描いていくのだが。
自称保守の間にはびこる欧米主体の好戦主義、
日本の主体なき好戦主義は、幼稚だからそろそろケリをつける
必要がある。
だからといって反戦平和の原理主義や、自虐史観に戻るような
愚劣を許してはならない。
わしの戦争に対する考えは「SAPIO」の記事中で示した。
「自らが主体的に決断した戦争でなければ戦う意味はない」
と題されて載っている。




















