ゴー宣ネット道場

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トッキー
2016.6.13 01:35ゴー宣道場

公論の形成には反復思考が不可欠!

第55回ゴー宣道場
『言論の自由と潔癖王国』
に対する門弟の感想をご紹介します!



「言論の自由」とは、ゴー宣道場で
ことあるごとに確認することと
なっている、
当事者意識そのものだということが、
市井の人の
生活まで引き付けながら
議論されたことでよくわかりました。

「ある」とわかっているのに
「ない」状態であれば警戒しますが、
実は「ある」のに、「ある」ことを知らずに
「ない」状態なら、
何も知らないまま、
何もなかったこととしてそのまま過ぎてしまう。
これが怖いわけですが、
そうならないようにするのは相当難しい。
ではそうならないために、
最低限必要とされるものは、
想像力と警戒心なのだと思います。

私は学生時代、(今もですが)
な~んも勉強してこなかったので、
人文系とか理数系とか聞く
とキョトンとしてしまうのですが、
人文学を削っていくことの危険さは
多少わかるような気がしていて、
正と偽を知で判断したり、
それを肌で感じる感受性を磨く手段を
自ら手放しているように思えます。
娘の学校生活を見聞きしても、総合とか、技術とか、
私の子供時代には聞いたことのない授業があって、
総合の時間にはPCの使い方とか、
技術って何かと思えば、
この国ならではの
ものづくりのこととかでは全くなく、
要は情報技術についての授業のようでした。
そういう授業の宿題やテスト準備をしている
娘を見ていて、
いやいやいや、
ちょっと待ってくれ、これで、大丈夫なのか?
と、かなりの疑問と警戒心を持っているし、
そのカバーは家庭内で
できる範囲で
やっているつもりではいますが、まだまだです。

誰もが自分だけの人生しか生きられないのだから、
自分で経験
できることなんてたかが知れているし、
実生活上で有縁の人はいても、
その人たちの頭や心の中までは
覗けないわけですから、ではそういう
中でどのように(他者への)想像力を備えて(鍛えて)
いくかと
考えたら、他人の人生や考えを
なぞったり触れたりすることが
できる
読書が一番なのだと思います。
中でも何百年と読み継がれて
いる古典は、
古今東西関係ない人間の
普遍性が書かれているので
もってこいなのだろうと思います。
(映画鑑賞もなかなかなのでは
ないかと思っているのですが)

「理」や「情」を染み込ませることを自ら手放すような
危険な
政策に怖さを感じなかったり、
また、この度のオバマへの
感動の大合唱を
見ている限り、あのすこぶるわかりやすい
偽善にも警戒心を抱くことができていない
国民に主権とやらが
あって、
その主権者国民による民主主義とやらによって、
この国はどこに向かうのか・・・
そんなことを考えながら、
この度の道場にのぞんでいたのですが、
そこで思ったのは、「自分はどうなんだ?」です。
人は時に、自信を持つことも大切なので、
自分に対して常に疑心暗鬼
を抱いているのも
どうかとは思うのですが、社会や世の中に対して
警戒するように、自分の中の「正義」や、
「正しい」と思うこと
(「考え」と言ってもいいですが、
「考え」は自分の中の
「正しい」に基づくと
思われるので)にも、「本当に大丈夫か?」
と疑問を持つ視点を備えておくことが
近道のように思いました。

道場の最後の方で質問させていただきましたが、
道場の中で、
そういう自分はどうなんだ?
ということを具体的に考えたり、
自分が正しいと思ったことに疑問を持つ
きっかけとなったのが、
議論の中で出た
杉並区の公園の一部を保育園にする話で、
そして、そこで感じた熟議への
問いとなった次第でした。
(kaoriさん)

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私は、道場に20回くらい参加させて頂きましたが、
今回で、やっと公論の形成ってところに
実感が持てました(遅い(-_-;))。

10年位前でしょうか、小林師範が、
わしは(民主主義ではなく)公民主義が良いと
思ってる的なことを描いておられました。
当時の私は、公益を弁えた庶民による
政治体制が良いって意味かな、、、という
抽象的な理解しかできませんでした。
数年後、公論の核を形成する話し(道場のこと)
を聞いたとき、やはり抽象的に、通歴史的な
正論を広めようということかな、、、という
理解しかできませんでした。

しかし、今回、師範方が、身近な話題から
社会問題まで次々議論されているとき、
私の心の中では、鉛筆で何度も何度
うすくスケッチされるように、公論の輪郭が
段々と濃くなっていくような感覚が芽生えました。
モヤモヤが晴れると言うより、色が濃くなるのです。

後半、私の脳内は、
「議論って、こういう風に話し合うのか!」
「うん!うん!うん!うん!、、、、、(得心)」
というような軽いトランス状態でした。
私の脳内イメージでは、そんな訳ないのですが(笑)、
師範方と車座の様な感じで、一緒に
語り合っているような錯覚に陥ってました。

今回は、テーマが具体的な回では
得られなかった感覚を味わえました。
縦横に議論が交差するためか、聞き入るうちに、
自分の中でも(どうしても!)議論が
起こってしまい、修正と得心をグルグルと
繰り返せる回でした。非常に面白かったです。

公論は、議論を通じて、見えてくる、分かってくる、
つかめてくる、深まってくる、
修正しながら伝播してくる、ものなのですね。
だから、議論は不可欠なのか
(あ、2ヶ月位前、カレーせんべえ氏と3時間くらい、
私の事務所で議論したのですが、その後、
氏も私も少しずつ意見が変わってるようなので、
また近々話しをして来ようと思います)。

ここまで書いてて、公論の形成って、
どこか外国語の習得に似てると気付きました。
真剣に聞き取る訓練を「し続ければ」
だんだん聞こえて、クリアになって、面白くなる。
サボってると、聞こえなくなり、
モヤモヤになって、つまらなくなる。
(ゴーさん)



何度も繰り返し聞いていて、
わかったつもりでいたことなのに、
ある時初めて腑に落ちたという感覚になる、
という経験は私にもよくあることです。

だからこそ本を読み、議論をして、
あるいは自らの思いを問い直し、
頭で知っているのではなく、
得心するところまで反復して
鍛えなければならない、
そのための道場だと強く思います。

前回道場のタイムシフト視聴期間は
終了しましたが、本日中には
動画を配信する予定です!

トッキー

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