ゴー宣DOJO

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切通理作
2016.9.22 02:04

最近気味が悪いこと


相模原の福祉施設での殺人事件以来、

やたら障害者との共生のメッセージやら、

そのための歌を作ったとか、

連日のように報道されてますが、

なんか違和感があるのは私だけでしょうか。

 

障害者が一個の人間である事を

言う事が悪いとは思いませんが、

あの事件の犯人が発したメッセージへの反論として

それがなされていることにひっかかりを覚えるのです。

 

精神鑑定もなにもする前から

あの犯人の意見をただのおかしな意見として済ませてはならないとし、

優生思想の象徴的なものとして

仮想的に見立てて反論しているように見えますが、

それって、結局、あの犯人の手紙の内容を

「語るに足るもの」として、

持ちあげてることにならないかと思うのです。

 

酒鬼薔薇事件の時も、

いのちの共生だのなんだのと訴える人たちが

いっぱい出てきましたが、

何年かたってみると「酒鬼薔薇みたいになりたい」

という連鎖殺人を生み出す少年たちが出てきた事の方が印象に残ります。

 

今回の場合も

「あの犯人の論理はわかる」として、

模倣犯が生まれる可能性がかえって高まっているのでは

ないでしょうか。

 

だいたい、「障害者は消して、良い社会を作ろう」なんていう

メッセージを、識者がまともな意見として、メディアで言って、

それが載るなんてこと、100%ありません。

犯罪者が言ったから、それが公表されたのです。

 

それに対して、一方の意見として見立てて反論しても、

その意見の側にくみする識者が出てくるということは、

100%ないでしょう。

 

「あの犯人の言ってることわかるよね。

障害者は消すべきだよ」

なんて言う識者が出てくる事は、

あり得ないと思うのです。

 

つまり、絶対に反論が来ない意見を

述べ続けているという事になります。

 

社会に不満があって鬱憤を弱者にぶつけたい者どもは、

絶対に反論できないその意見の方に依拠して

神格化してしまう事が起こり得ます。

 

「世界全部敵に回しても、あいつだけがわかってくれている」と。

 

もちろん「おかしいものはおかしい」

「狂った奴の狂った意見にすぎない」

と、瞬時に一笑にふす「常識」的態度すら、

その反動を生むという事は起り得ますが、

これだけ連日「反論」キャンペーンを張るということが、

危険を増幅させているような気がして

なーんか気味が悪いのです。

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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