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笹幸恵
2016.10.12 04:13

無意識の女性差別

こんにちは。福本幸恵です。

 

・・・と言っても、誰もピンとこないだろう。

私は仕事上ではすべて旧姓の「笹幸恵」を使っている。

 

今朝の朝日新聞で、職場での旧姓使用と認めないとした

東京地裁の判決が載っていた。

10年間勤めた学校の女性教諭が、結婚し改姓した。

学校側に旧姓を使用することを申し出たが認められず、

人格権を侵害されたとして学校を提訴。

しかし東京地裁では「職場で戸籍上の氏名の使用を

求めることには合理性、必要性がある」として

この女性教諭の請求を棄却した、というものだ。

 

判決では、一応、旧姓は「結婚前に築いた信用や評価の

基礎となる」と述べているが、それでも結論は

「戸籍名を名乗れ」だ。

それじゃあ、結婚前に築いた信用や評価はどうなる?

 

私が仕事で旧姓を使っているのは、まさにこの点だ。

原告の女性教諭は、「実績と名前を切り離したくない」と

述べている。その気持ち、すごくよくわかる。

さして評価を得るような業績を残してきたとは思わないが、

私はずっと「笹幸恵」という名前で仕事をしてきた。

一つのアイコンみたいなものだ。

「笹幸恵」といえば、「ああ、あの地味な戦争の本ばかり

書いている人ね」とすぐにわかってくれる人もいる。

「福本幸恵」で本を書いたとしても、誰これ?

となってしまうし、説明するのもややこしい。

そもそも結婚はプライベートなことで、仕事とは関係がない。

いちいち著者略歴に「結婚して福本に改姓」などと書くのもいやらしい。

というか、その必要性を感じない。

 

大学でも同じ。

教室内での呼び名はもとより、授業担当者としても

旧姓を使用している。つまり公になっているシラバスにも

「笹幸恵」として名前が掲載されているということだ。

 

はっきり言って、戸籍とは何の関係もないし、

戸籍上の氏名を使用することに何の合理性・必要性も感じない。

 

私は夫婦別姓でも同姓でも、どちらでもいいと思っている。

福本になったら、福だの幸だの、やたら縁起が良くなっていいじゃん、

という程度。

しかし仕事になると話は別だ。

繰り返しになるが、結婚して改姓したことは、

仕事とは何の関係もない。

ただ結婚した、というだけで、自分の名前と実績が

ほとんど強制的に切り離される羽目になるのなら、

「女性活躍社会」など夢のまた夢なのでは?

 

女性教諭は、「裁判官の中に女性が一人でもいたら

判決が変わっていたかもしれない」と言ったそうだが、

世の中には名誉男性みたいな女もいるからなあ、わかりません。

 

むしろ、原告が男性教諭だったら、果たして

同じような判決が出ただろうか?

と私は思う。

 

無意識の女性差別が、そこに横たわっている。

笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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