国際政治学者、篠田英朗氏の近刊
『ほんとうの憲法ー戦後日本憲法学批判』から、
いくつか引用しよう。
「(日本国憲法が施行された)1947年当時の日本が、
国際社会において、どのような国であったか、
客観的に振り返るべきである。
日本は、満州事変によって国際連盟が象徴した
第1次世界大戦後の国際法範規にあからさまな挑戦をし、
東アジアにおいて空前の侵略行為を繰り返した挙句に、
世界のほとんどの国が同盟関係を結んだ
『連合諸国(United Nations)』に敗れ去った、
いわば『ならず者国家』であった」
「日本国憲法は、日本の軍国主義の復活を防ごうとする
アメリカを中心とする連合諸国が、自分たちが標榜する
国際法規範を日本に守り続けさせるために作成した法体系である。
憲法9条は、その日本に国際法を遵守させるプロジェクトの成功に、
大きく寄与した」
「日本はサンフランシスコ講和条約締結を通じた主権回復と同時に、
日米安全保障条約を結んだ。
戦後の日本は1日たりとも、日米安保条約なくして、
独立国であったことはない。
そもそも日本国憲法は1日たりとも、在日米軍なくして、
施行されたことはない。
戦後日本の国体にとって、日米安保体制は、憲法と並ぶもう1つの
支柱である」
「歴史的に言えば、そもそも国際規範を逸脱して侵略行為を
繰り返した日本に、国際法規範を遵守させる仕組みが、
日本国憲法であった。
憲法9条1項の戦争放棄は、国連憲章2条4項で定められた
武力行使の一般的禁止を確認するための条項であると言える。
…憲法9条2項の戦力の不保持は、自衛のための実力の保持を
留保した条項であるとすれば、国際法から見て特に新奇な内容を
持つものとは言えない。
自衛のための実力以上の戦力なるものを保持していると宣言する国は、
ほとんど存在しないはずだ」
「『交戦権』という現代国際法に存在しない概念を、
あえて2項が否認しているのは、国際法遵守の意図を宣言するため
である。
『交戦権』なるものを持っていないのは、日本だけではない。
全ての諸国が持っていない」
憲法9条は、アメリカが「ならず者国家」日本を国際法規に
従わせるべく与えた“矯正器具”であって、誇るべき理想でも
唾棄すべき鉄の鎖でもない、と。
従来の類型的な護憲論とも改憲論とも、
一線を画す議論を示している。
しかし、それは“斬新”な見解と言うより、
戦勝国=「連合諸国」取り分けアメリカの観点に限り無く寄り添った、
その意味では最も「旧式」の憲法論と言うべきだろう。