政治学者で一橋大学名誉教授の渡辺治氏。
護憲派の牙城「9条の会」の事務局を担当しているらしい。
共産党の議長だった不破哲三氏との共著もある。
インタビュー記事を見ると、言っている事が支離滅裂。
「天皇自身の意思による慰霊の旅、
被災地訪問なども加わり、公的行為が際限なく肥大化した。
憲法の想定していなかった天皇像が膨らんだ」
→憲法は天皇を「日本国民統合の象徴」と規定している。
ただ“存在”しているだけでは、動態概念としての
「国民統合」の象徴の役割は果たせない。
公的行為は憲法が要請し、
それに天皇ご自身がお応えになったもの。
「私は公的行為は違憲だと考えるが、
仮に認める場合は…
公的行為の限界を定めた法律を整備したうえで、
内閣による統制に加えて国会での議論を義務づけ、
少数会派も含めて合意した場合のみ認めるような
仕組みを作るべきだ」
→同氏の見解では公的行為は「違憲」。
なのに、「仮に認める場合は…」として、
その“ルール”についてあれこれ提案している。
違憲なら、「仮に」でも「認める」訳にはいかないはずだ。
自分の議論の可笑しさに気付かないのか。
しかも、ルールの中身は事実上、共産党のような
「少数会派」の一存で、天皇の公的行為の可否を左右し、
それを“政治利用”できるシロモノ。
論外だ。
「天皇制は、民主主義や自由と人権といった
憲法の基本原理と根本的に相いれない。
…女性天皇や女系天皇を認めるべきではないのか」
→「天皇制」そのものを「憲法の基本原理(!)
と根本的に(!)相いれない」と断定しておきながら、
その舌の根の乾かぬうちに、「天皇制」を支える
「女性天皇や女系天皇」を「認めるべき(!)」
と主張している。
これも無茶苦茶。
思考が硬直化すると、右派も左派も、
こうした自家撞着に全く気付かなくなるものらしい。
自ら戒めたい。