ゴー宣ネット道場

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トッキー
2018.1.15 04:32その他ニュース

#me tooやLe Mondo紙の 声明文に関して

さきほどのよしりん先生ブログに
関連する意見をライジングコメント欄より
ご紹介します!



今朝のブログでも触れられていましたが、
私も#me tooやLe Mondo紙に掲載された
声明文に関する内容の投稿させて
いただこうと思います。

ワインスタインのスキャンダルを
発端とする#me tooムーヴメントについて、
私は声をあげる女性に敬意を持っています。
自分自身を含め、多くの女性は、自分が受けた
性被害について口にしたくないものだし、
実際してこなかった、しない女性は多く、
思い出したくもない傷の深さゆえ、
日常生活を営む上で自分の気持ちを守る
ために、まるでそれをなかったことのように
自分で蓋をしがちです。
(女性と書きましたが、性虐待は女性に
限ったことではないので、男性にも同様の
ことが言えると思います)

でも本来、セクハラや性的虐待・暴力は
あってはならないのであって、
そのためにはまず、そういうことが家族含め
親族内、近所、学校、職場などの私たちの
身近な場所において、日常的に起こりうる
理不尽、暴力だということを、
加害者の立場になっていることに無自覚な
人や、男女問わずそういうことを
知らなかったりわからない人たちに、
知って(わかって)もらわなければ始まりません。

そのために、自分の体験談を語るなど、
声をあげる勇気ある女性によって#me tooは
意味あるムーヴメントになっているのでは
ないかと考えています。
#me tooの主旨はいたってシンプルだと
考えられ、セクハラや性的虐待・暴力には、
その背景に力関係があるものであり、
力を持つ人が、相対的にそれが小さく、
弱い立場の人に対して、軽んじるな、
蔑むな、そして暴力はやめろ、
ということだろうと思います。

つい最近、その#me tooに対し異を唱える
声明文が、仏のLe Mondo紙に掲載
されました。カトリーヌ・ドヌーヴを
はじめとする100名の賛同者によるもの
ですが、その内容について私は、複数の
日本語訳されたものを読み比べてみたことで、
書いてある内容はほぼ把握できているのでは
ないかと思っています。
声明文の賛同者には作家が多くいることも
あるのか、表現の自由への侵害についても
言及していて、その箇所については私も
同意しますし、#me tooの賛同者の中には
一部間違った方向や、極端な言動に走って
しまっている人もいるのだろうと思います。

セクハラや性暴力を許せないと思いながらも、
中には自分が受けた被害について言わない、
言いたくないという人もいて、そういう人は
そっとしておいてあげなければならないし、
また、先日のゴールデングローブ賞において、
#me tooやTime‘s up、セクハラへの
抗議の連帯として、黒い衣装を着て出演しよう
というのも違和感がありました。
こういうやり方は、何らかの同調圧力を感じて
しまってもおかしくはなく、主旨に賛同して
いたとしても、黒ではない自分が着たい衣装を
身につけたい人も当然いるはずで、結果的にで
あっても、黒い衣装を着ないことで批判される
ような風潮を作りだしているのであればそれは
間違っているのではないかと思います。

批判するにしても、#me tooに限らず
こういうのは一枚岩ではないものだという
ことを、認識しておくべきだろうと思います。
これはどういうことかと言えば、例えば、
表現の自由への侵害は許されないから、
#me tooも認められないとは必ずしも
ならない、ということなどです。

いずれにせよ、声明文の全文を読んでみると、
そもそもがずれていると思わざるをえない
箇所がいくつもあり、名誉男性の発想そのもの
という印象さえ受けます。
「彼らのしたことと言えば、(仕事上の付き合い
があるだけの)それを望まない女性に対して、
膝を触ったり、キスをしたり、個人的で親密な
言葉を囁いたり、性的なメッセージを送ったり
しただけ。それだけで、彼らは制裁を受けたり、
辞職に追いやられている」
とあります。私は記事を読んで、てっきり
それらの行為はフランスではセクハラには
ならないのかと吃驚したのですが、
当のフランスで、そんなことが許されるはずない、
一緒にするなと、声明文への批判意見がふつうに
あります。考えてみれば当然なのですが、
彼女らの意見や考えが、フランス人のそれを
代弁しているわけではやはりなさそうです。

カトリーヌ・ドヌーヴついて言えば、彼女の
歴代の恋人たちは、監督や俳優など、
10代の頃からそのときのフランス映画界
きっての実力者が殆どだし、彼女自身
若くしてスター街道に乗った女優だから、
立場を利用した露骨なセクハラを受けた
ことなどないか、例えあったとしても、
若いときから彼女は彼らに決して負けない
力を持っていたから、堂々と“NON!”と
言えたはずです。だから、そういう男たち
によって、チャンスを潰されたり、
それを手放すことになってしまったり、
口を閉ざすしかなく、理不尽や屈辱を
味あわざるをえない状況になった女性が
数多いた(いる)ことに想像が及ばない
のかもしれません。

実際、ワインスタインの性的要望に
応えなかった女優らについてある映画監督は、
「そのときは本当の理由を知らなかったが、
ワインスタインから“使うな”と言われていた
女優が複数いた」と証言していますが、
#me tooで告発しているセクハラの根本は
パワハラだということが、感覚として
理解できないのではないかと思います。

「私たち女は、例えそれが犯罪だとしても、
地下鉄の痴漢に心を傷つけられずにいられるし、
それは性の貧困さから来るものであり、
たいしたことではないと捉えることができる」
「女性の体へのアクシデントは、必ずしも
女性の尊厳を傷つけない。時にそれが辛いもので
あっても、女性を永遠の犠牲者にしてはならない」
「男性とセクシャリティへの憎悪である
フェミニズム」
とまあ言いたい放題です。

「男性には女性を口説く権利がある」とし、
また、「性的自由に、しつこい口説き
(言い寄り)の自由は不可欠だ」と言います。
互いを尊重したうえでの駆け引きや誘惑行為と、
力や立場につけこみ、それを望まない相手に
対してしつこく言い寄ること
(つまりセクハラ行為)を同列に捉えて
考えるのは違います。後者はただの暴力
なのだから。そしてこう続きます。
「その自由に対して女性は、どのように
対応するのか知らなければならない」
つまり彼女らは、決してその気にはなれない
ような男であっても、しつこく口説かれたり、
触られたり、痴漢行為くらいは大目にみて、
大袈裟に考えたり、グダグダ言ったりするな、
うまく対処すればいいじゃないか、
ということのようです。

またこの手合いかって思います。
男尊女卑やセクハラに対して批判をする女性に、
ミサンドリー(男性嫌悪)の烙印を押すなどの、
名誉男性の常套手段をこれまで
どれだけ見てきたことか。

名誉男性のひとりである杉田水脈議員は、
さっそくこのLe Mondo紙の記事について、
【「セクハラ告発の行き過ぎは女性を
保護が必要な子供におとしめること」
 おっしゃる通り!セクハラ告発を過度に
推し進める人達は、「男女平等」とか
言いながら、「女性=弱者」を固定している
のがわからないのかな?】
とツイートしています。
わかっていないのは声明文の賛同者や
杉田氏の方です。暴力はやめてくれと
言っているだけのことが、なぜ
”「女性=弱者」と固定することになる”のか。

声明文の賛同者である女優や作家らは、
痴漢に遭遇することもなければ、卑劣な
パワハラやセクハラを受けずに
生きてこられた幸運な女性たちなのか、
それか、たとえ彼女たちにもこれまで
そういうことがあったとしても、
私たちだってうまく対処してきたのだから、
あなた方もそうすればいい、
ということなのかもしれません。

以上のように、声明文はとても承服できない
ような内容が多いのですが、それでも
Le Mondo紙にこのような声明文が発表された
のはおおいに意味のあることだと思っています。
こういう意見も表立って出て議論になることで、
あらためてわかることや見えてくるものがあり、
何も起こらないより、半歩であったとしても
人は前に進むことができるのでは
ないかと思うからです。
(リボンの騎士さん)


被害者が声を上げるという、
至ってシンプルで真っ当なことに対して、
屁理屈作り上げて妨害しようとする
人が出てくるという事態に驚きますが、
そういう人は、一体何を守ろうとしているのかと
考えると、見えてくるものもありそうですね。

トッキー

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