ゴー宣DOJO

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泉美木蘭
2015.10.21 07:15

高知市女児虐待の音声に・・・

高知市で生後10か月の女児が母親から虐待死させられた疑いのある事件で、
近所の男性が、女児の死亡する前夜の泣き喚く音声をスマホで撮影していた
として、その音声がニュースで何度も流れるんだけど、
聞くたびに物凄い嫌悪感が渦巻くあまり、席を立って顔を洗いたくなってしまう。
もう流すのをやめてほしい。
火事の映像や、警察と犯人の大獲り物を撮影したものとは、性質が違わないか?

録音した男性は、女児の母親から
「赤ちゃんポストに預けたい。できるなら殺して、どこかから飛び降りたい」
と聞かされていたそうで、撮影した理由については、
「普通の泣き声じゃなかったので。すぐ危険を感じて」
「子供になにか直接命に関わることをされているのではないかっていうので
すぐ撮影に入りました」
と語っていた。

どうして子供の命に危険を感じたところで、スマホに手を伸ばして録音なのか、
警察に提供して事件の捜査に役立っているまではよしとしても、
取材に来たテレビカメラを自宅に入れて、どこでどう録音したのか、スマホを
手に持ち、当時のポーズまで再現してみせる姿には、得も言われぬ嫌悪感を
感じてしまった。
通報や救助は誰かがすると思ったのか、虐待の証拠を押さえたかったのか、
私にも野次馬根性はあるから、火事や事故現場で、おおっと思うことはある。
ただ、覗き見根性で撮ってしまったとしても、その赤ちゃんが本当に死んで
しまったことを知った時、
自分の撮ってしまったものに罪悪感や恐怖感を抱いたり、
そんな時にスマホに夢中になっていた自分、という存在を、天の神様から
じっと見られているような後ろめたさを感じたりはしないのだろうか。
取材を受ける男性の振る舞いからは、どうもそんな大切な部分が欠けている
ように感じてならなかった。

これを流しまくるテレビ局もちょっと感覚がおかしいんじゃないかと思ってしまう。
男性に「なぜ録音したのか?」とインタビューしているので、
視聴者をショッキングな音声で画面に釘付けにして視聴率を確保しておいて、
批判のほうは、男性の「覗き見根性」「撮ってないで助けろ!」という部分に
向けられるという仕組みになっている。
テレビのずるさを感じて、嫌悪感を抱く。

「あの泣き声は異常だと思った」
「あの時病院へ行っていれば、死ななかったのかな」
近隣住民の証言があまりに『ありがち』なのも、この世の地獄に見えてきた。
自分の身のまわりにも、いつでも起きることだ。
いつか自分がそんな証言者になっているかもしれない。
共同体崩壊、隣近所の関わりが薄れ、お互いに無関心でいるために
見えない壁を作ってしまった世界、その冷徹な現実の小さな犠牲者が
泣き叫ぶ声。
その音声が、ひそかに近隣住民によってスマホで録音されており、
しかも公開されるという、さらなる薄気味悪さ。

大きな社会全体の問題が、どこか一点への批判に矮小化されて、
自分自身のものとして捉えられない、目を背けてなんとなく済まされてしまう、
このくり返しにも嫌悪感が渦巻いてしまう。

なんだかシールズみたいになってしまったからもうやめる。
とにかくもう流すのやめてほしい・・・
私は、赤ちゃんがいたたまれないんです。

泉美木蘭

昭和52年、三重県生まれ。近畿大学文芸学部卒業後、起業するもたちまち人生袋小路。紆余曲折あって物書きに。小説『会社ごっこ』(太田出版)『オンナ部』(バジリコ)『エム女の手帖』(幻冬舎)『AiLARA「ナジャ」と「アイララ」の半世紀』(Echell-1)等。創作朗読「もくれん座」主宰『ヤマトタケル物語』『あわてんぼ!』『瓶の中の男』等。『小林よしのりライジング』にて社会時評『泉美木蘭のトンデモ見聞録』、幻冬舎Plusにて『オオカミ少女に気をつけろ!~欲望と世論とフェイクニュース』を連載中。東洋経済オンラインでも定期的に記事を執筆している。
TOKYO MX『モーニングCROSS』コメンテーター。
趣味は合気道とサルサ、ラテンDJ。

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