「タックスヘイブン名簿に政治家の名前、ないですねえ」
「政治家は政治団体持ってるからそんなのいらないんだよ」
「・・・な、なるほど」
今朝のMXでのやりとり。
しかし、それにくらべたら、舛添都知事の龍宮城ホテル三日月やら、
ネットオークションで絵画を落札やら、なんだか随分コンパクトな話だし、
もし選挙になるならウン十億単位でお金がかかるわけだから――
「今週水曜日に方向性が決定するんじゃないですか」
「水曜日になにかあるんですか?」
「週刊文春の発売日。まだもう一発握ってるでしょ」
「・・・な、なるほど」
日ごろあまりこういうニュースの見方をしていなかったから、
やたら「・・・な、なるほど」の多い今朝だった。
しかし、エンゲル係数の急上昇がニュースになるほど、
庶民が生活を切り詰めている状況があるのに、
五輪の招致にしろ、数々の不手際に伴う出費にしろ、
どうして公費ってこうもムダすぎる使われ方をしていくんだろう。
私はスーパーでは、まず値札。とにかく値札。
その次が産地。あとは鮮度をチェックして問題なさそうならば、
1円でも安いほうを選んでカゴに入れるという買い方をしているから、
「トマトこんなに高かったっけ・・・今日はやめとこ」とか
「このスーパー、なんでこんな高級タマゴしか置いてないんだよお。
赤卵はいらないんだ、Sサイズの白いの探そう、白いの!」とか
日々ひしひしと感じるし、そのためにムダな出費は控えられてゆき、
エンゲル係数を上昇させているほうだ。
一方、富裕層となると、値札よりも《食の安全》に気を使うことができ、
「安全で良いものならお金をかけたい」
という意識から、こちらもまたエンゲル係数を上昇させている、
という分析があった。
《使えない》から《上がってしまう》食費の割合と、
《使える》から《上げる》食費の割合。
数値の上昇の理由にも、庶民と富裕層とで大きな格差があるのだ。




















