日本全体が、ハリウッド映画にでも出演したような気分に
酔いしれているみたいだ。
誰もかれもがオバマ大統領に感動していて、まるで歴史の
証人として立ち会ったかのような高揚感に支配されている。
『我々は、ひとりの英雄をいま目撃している。
人類は、バラク・オバマのヒロシマ訪問によって、
核なき世界への新たな一歩を、踏み出したのだ――!!』
といったところか。
なんならこの核ボタン押すぞ、という人間によってようやく
保たれる均衡のなかで。いや、それすらも崩す可能性のある、
気の狂った国のすぐそばで。
被爆者と語らい、感極まった男性とハグする姿を見ると、
この広島訪問に水を差せなくなるんだろう。
被爆者自身が、戦後70年以上待ち望んだ出来事に、
心が打ち震えて感激するのは理解できるけれども、
あの光景を目の当たりにして、
「素晴らしいねえ、平和がいいねえ、核はだめだねえ」
という、心地良いメロディのなかで、世界と肩を組んだような
快感に浸って、"We Are The World♪ "になってる人は、
「でも、現実問題、日本はアメリカの核にすがりついていて、
今後もますます、すがりつきたいというのが本音ですよね」
という冷めた視点は完全無視。
「いまは人類を語るときでしょ!」「この物語を楽しもう!」と。
よくそんな誇大な視点で喜べるなあ、怖いひとたちだなあ、と思う。
沖縄の女性を斬殺した、米軍属の男へのあの怒りは、いったい
どこへ行っちゃったんだ?
私は音楽も映画も好きだけど、世界はそんなファンタジーじゃない。
「感動シーン」を見せられると、逆に、ここは油断してはならない
場面だ、と思う。
日本人は、「喜び」という名の自粛のなかにいる。
この潔癖は恐ろしい。