ゴー宣ネット道場

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泉美木蘭
2017.10.9 14:55

リベラリズムと倉持改憲論の復習。

昨日のゴー宣道場、倉持麟太郎師範のリベラル的改憲論、
事前にブログをくまなく読んでメモをとりまくって
予習して
からの拝聴でしたが、それでも難しかった。
(私は長文ブログを最も真剣に読んだ一人だと思いますよ!)
ですが、自分の考えをまとめがてら、書いてみます。

純粋に「そもそも憲法というものはなんなのか?」という視点から
語れば、その
上位概念として《リベラル的価値》が存在する。

歴史上、人々は生まれながらに決められていた身分や、宗教観など、
その人を縛る価値観を持ってきたが、それをすべて打破して、
完全に解放された独立対等の最小単位=「個人」という概念を持ち、
その「個人」の自由を最大化しながら「寛容に、共生していこうね」
という考え方が《リベラリズム》
そして、その共生のための枠組みとして編み出されたのが、
「個人」の集合である「国家」であり、それを縛る《立憲主義》

そして、日本国憲法には、この《リベラルな価値》が、
第10章の第97条、98条に「基本的人権の本質」「憲法の最高法規性」
としてしっかり記されている。

世間では「立憲主義守れ」「民主主義守れ」「憲法守れ」という
“リベラルっぽいスローガン”があちこちで踊っているけれど、
立憲主義という個人の集合体の「共生」の仕組みと、
民主主義という個人ひとりひとりの権利をめぐる「決定」の仕組みは、
常に引っ張り合う緊張関係にあるということだな。

ここまでは理解できたのだけど、
今度は、この個人…「リベラリズム的個人」とでも呼べばよいのかな、
という概念が、ものすごく苛酷なものに感じた。
超知的であり、超正義の支柱でなければ、つまり、超人的に理性的で
なければ、屹立していられないのではないかなと。

また、「リベラリズム的個人」という概念と、
日本国憲法の第一章に掲げられている「天皇」というものは、
すごく相容れないもののようにも感じたけれど、
どう理解してゆけばよいのか?
第一章の天皇条項だけをテーマにしても、斬新な倉持改憲論に
さらにかなり重厚な議論が積み重ねてゆけそうだなと思う。

「寛容」と「共生」はもちろん必要に思うけれど、
「独立対等の個人として開放する」というところまでいかないのが、
日本的なリベラリズム、なのかな? とか。

交戦権と自衛権、集団安全保障と集団的自衛権のことはごっちゃに
なっていたので質問させていただけてよかったです。
大変よくわかりました。
たぶんわからないままの人も多いと思うので、
またブログで私なりに噛み砕いた復習を書こうとおもう。

今回の倉持師範の基調講演は、多くの種をまいてくれた大変貴重な
お話だったと思う。これからどんどん芽吹かせて育てていこう。

ちなみに、日本国憲法、条文を見ながら勉強してみたいなという方は
講談社学術文庫の「新装版 日本国憲法」が、文字が大きいですし、
ルビもふられていて、手ごろです。
新聞読むときも、
7条、53条、69条とすぐ引けるので便利でした。

泉美木蘭

昭和52年、三重県生まれ。近畿大学文芸学部卒業後、起業するもたちまち人生袋小路。紆余曲折あって物書きに。小説『会社ごっこ』(太田出版)『オンナ部』(バジリコ)『エム女の手帖』(幻冬舎)『AiLARA「ナジャ」と「アイララ」の半世紀』(Echell-1)等。創作朗読「もくれん座」主宰『ヤマトタケル物語』『あわてんぼ!』『瓶の中の男』等。『小林よしのりライジング』にて社会時評『泉美木蘭のトンデモ見聞録』、幻冬舎Plusにて『オオカミ少女に気をつけろ!~欲望と世論とフェイクニュース』を連載中。東洋経済オンラインでも定期的に記事を執筆している。
TOKYO MX『モーニングCROSS』コメンテーター。
趣味は合気道とサルサ、ラテンDJ。

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