ゴー宣DOJO

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泉美木蘭
2018.4.9 13:01

憲法の「伝統」と、「人間の尊厳」

日曜日のゴー宣道場、山元一教授による、
「比較憲法学」から見た日本国憲法の課題についての
基調講演が、
とてもわかりやすく、かつ「もっと知りたい」という
思いを
掻き立てられる内容で、とても勉強になりました。
事前にご用意くださったレジュメのおかげで、
頭の整理が
つけやすくて集中もできました。

特に憲法の前文については、ほとんど暗記用ポエムのような
感覚を
刷り込まれてきていた人間なので、
そこに「建国の体」を綴るために「日本の伝統とは!」という
話が
論じられていくというお話には驚き、反射的に
「そりゃ困ったなあ・・・」
という気分に。

「せっかく憲法を制定するのだから」みたいな感覚で、
「日本とは、このように素晴らしく歴史ある国なのだあ!」って
スターウォーズのタイトルロールのような壮大な物語を描かない
気が済まないような厳めしい方々がいらっしゃるんだろうけど、
伝統って、決して「これが決定版」として書き残せるようなこと
ではないし、
明治の時代に恣意的に作られた「しきたり」「掟」としての
“伝統のようなもの”がそのまま因習化して、
現代の人をタコツボに
押し込めたり、
女性を苦しめたりしている現実を見れば、
その時その時代の風潮だけに支えられている感覚を、
「憲法の前文」として掲げてしまうなんて、
随分手前勝手な自己顕示欲でしか
ないんじゃないかと思える。
しかも、「前文、俺が書きたい」とか出て来る人もいそうだ。

やっぱり現憲法の第一章が天皇条項であるように、
憲法の中身、構成そのものによって、「建国の体」を表現する
ほうが
自然なのでは・・・。

「個人」か「人」かという質問から派生した、
ドイツ基本法の「人間の尊厳の不可侵」という論点については、
哲学的な議論がそこに眠っていたのだと知り、
もっとこんな
議論ができたらと思うものがあった。
ドイツはナチスの反省があるだろうから、絶対不可侵の考えが
かなり強い
のかなと思うけれど、
小人症の人を投げ合うゲーム「小人投げ」についての議論は、
本当に
深くて、いろんな人が思いを馳せながら話し合えるところ
だと思った。

小人投げが、人間の尊厳を損なう行為なのか、
はたまた、小人本人が自由意思で投げられ、それによって生計を
立てる場合はどうなのか。
個人と社会倫理の
せめぎ合いについては、簡単には決着がつかない。
この点に関して書かれた論文をいくつか見つけたので、
いま読んでいるところだ。


日本国憲法においても「個人」「人」という言葉一つに、
こういった、思考力と、人の心が試される議論があって
然るべきだろうと思う。
泉美木蘭

昭和52年、三重県生まれ。近畿大学文芸学部卒業後、起業するもたちまち人生袋小路。紆余曲折あって物書きに。小説『会社ごっこ』(太田出版)『オンナ部』(バジリコ)『エム女の手帖』(幻冬舎)『AiLARA「ナジャ」と「アイララ」の半世紀』(Echell-1)等。創作朗読「もくれん座」主宰『ヤマトタケル物語』『あわてんぼ!』『瓶の中の男』等。『小林よしのりライジング』にて社会時評『泉美木蘭のトンデモ見聞録』、幻冬舎Plusにて『オオカミ少女に気をつけろ!~欲望と世論とフェイクニュース』を連載中。東洋経済オンラインでも定期的に記事を執筆している。
TOKYO MX『モーニングCROSS』コメンテーター。
趣味は合気道とサルサ、ラテンDJ。

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