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高森明勅
2018.6.7 07:00政治

中江兆民と井上毅

憲法改正をいかに「統合的」に実現するか。
 
帝国憲法の制定史から学ぶべき点は多いはずだ。
 
例えば、伊藤博文(ひろぶみ)のブレーンで
実際に憲法の起草に携わった井上毅(こわし)と、
自由民権運動の理論的指導者、中江兆民との関係。
 
「注目すべきは、野党の急進激派のリーダーとして
治安警察からもっとも敵視された兆民中江篤介…とも、
井上は親しく交わって意見を語り合ってゐることである。
 
…徳富(蘇峰、そほう)の回想のなかに、
かれが井上家を訪問したときに、
中江兆民が来訪してゐて、
井上毅に(兆民の著書)『三酔人経綸問答』の
稿本を読ませ、その批評を聞いて談笑してゐた話がある。
 
井上は、兆民の政治哲学を、
大変に興味ふかい良著であるが
世俗大衆の読み物としては難解で、
到底『佳人之奇遇』などのやうな
ベストセラーにはなるまい、
などと談笑しながら批評してゐる。
 
その対談の様子は、
青年時代にフランスに留学したころから
信じあった知己親友らしい話しぶりである
(『蘇峰文選』による)。
 
…兆民の時事的政治評論は
秋霜烈日(しゅうそうれつじつ)、
政府要路者のもっとも憎むところであった。
 
したがって、当然にかれは、
公開の文では井上毅との往来親交などは書かない。
 
しかし、井上の没後に書いたかれの最後の著述
『一年有半』では、
『今の日本の政治家中には思想する能力者が全くいない。
思想する政治家としては井上毅君ただ1人を見たが
今はすでに亡(な)い』
…と、ふかい追悼敬弔の評を銘記してゐる。
 
しかも、それと同時に
『山縣(有朋、ありとも)、伊藤などは死ぬこと
1日早ければ早いほど国のためになる』
などと酷評しつづけてゐる。
 
井上毅在官中にこのやうな評論をすれば、
井上が伊藤、山縣から信を失い遠ざけられるのは
分かりきってゐる。
 
中江は黙して語らなかったのである。
 
…井上毅は…世間では対極点に立ってゐるかに
見られた中江兆民などとも遠慮なく議論して、
全国民的コンセンサスをもとめてゐた。
 
その井上が、中江等を追放した
保安条例の政府の政策に不満を禁じがたかったのにも
道理がある。
 
また藩閥政治家としての伊藤博文、
山縣有朋を苛烈に酷評してやまなかった中江が、
井上毅に対しては、日本で唯一の思想的政治家と
評したのにも理由がある。
 
井上文書を見ると、(明治20年の)保安条例の
実施に際して、かれが弾圧執行者の警視総監三島通庸
(みちつね)と激論したのを松方(正義、まさよし)蔵相
が憂へてゐる。
 
…井上は…保安条例では、
政府に失望して長文の辞表を呈してゐる。
 
…これは憲法立案のさなかである。
 
この時点での井上毅は、政府の情況に失望し、
これでは到底、法典の作成に懸命の努力をした
としても政府と国会の激突をまぬがれず、
憲法は空文と化し惨たる破綻(はたん)におちいる、
と憂へてゐる」
(大日本帝国憲法制定史調査会『同制定史』)
 
ーところが、やがて朝野(ちょうや)激突の様相は
転換し、国論は統合され、万民(ばんみん)慶祝のうちに、
欽定(きんてい)憲法の発布を見た。
 
そこに何があったのか。
 
同制定史は、その経緯の叙述に力を注いでおり、
興味深い(葦津珍彦氏『明治憲法の制定史話』も参照。
 
同著は上記著の優れたダイジェストとも言える)。
高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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