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高森明勅
2018.7.8 07:00皇室

【皇室と「人権」】

天皇と皇族方は、憲法が国民に保障する自由と権利を、
全面的又は大幅に制約されている。
 
この事実をどう考えるべきか。
 
憲法学の標準的な教科書の記述はこうだ。
 
「二通りの考え方がありうる。
第1は、天皇、皇族に人権享有主体性
(人権を保障される資格)を認めつつ…
ただし憲法が世襲制に基づく象徴天皇制を
認めていることに鑑(かんが)み、それに由来する
やむをえない制約は、憲法上許容される、と考える。
 
第2の方向性は、天皇、皇族には人権が妥当しない
と考える。
そもそも人権は、身分的階層制を否定して、
人を…“人一般”の立場に立たせたとき、
はじめて認められる。
ところが世襲に基づく象徴天皇制は、
この原則に対して憲法自身が認めた例外領域である、
ととらえるのである」
(宍戸常寿氏ほか『憲法学読本〔第2版〕』。
安西文雄氏執筆)
 
私の考え方はもっと単純だ。
 
憲法が保障しているのは、あくまでも国民(!)
の自由と権利だ。
 
“憲法上の権利”を規定する第3章の標題は
「“国民”の権利及び義務」。
 
条文でも以下のようになっている。
 
「“国民”は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」
(11条)
 
「この憲法が“国民”に保障する自由及び権利は…」
(12条)
 
「すべて“国民”は、個人として尊重される」
(13条)
 
「すべて“国民”は、法の下に平等であつて…」
(14条1項)
 
「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、
“国民”固有の権利である」
(15条1項)等々。
 
ところが、天皇と皇族は憲法上、国民ではない。
 
従って、憲法が“国民に”保障する自由と権利を、
“直ちに”享有し得るお立場には元々ないのだ。
 
しかし勿論、だからと言って、
天皇と皇族の自由や権利について、
何ら配慮しなくて良いということでは全くない
(一部にそう勘違いしている者らもいるようだが)。
 
そうではなくて、天皇と皇族の自由や権利の望ましい
在り方を探究する場合、(国民とは区別された!)
天皇と皇族の「特別のお立場」を前提とすべきだと
考えている。
高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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