ゴー宣ネット道場

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トッキー
2018.8.13 11:46ゴー宣道場

「ゴー宣」の根底に当初から貫かれている“居ずまい・佇まい”

門弟・門下生メーリングリストから
ご意見ご紹介です!

 



〇8月12日—よしりん先生のブログ

 「完成しないから人生に意味がある」
〇8月1日—ブログ
 「プライドのないメンツ主義者」
〇6月5日—ライジングVol.272掲載・
 ゴー宣第279回「『謝ったら死ぬ病気』に罹るな!」

は、連動するように「ゴー宣」の根底に
当初から貫かれている“居ずまい・佇まい”が
語られていると思います。
力を入れて“貫くぞ!”というより、よしりん先生
という方のごく自然な考え方・姿勢の在りよう
—として常にあるもの。

  その時々のゴー宣のテーマについての議論を
超えて、ゴー宣はじめ多数の作品群の底に
ずうっと流れている“刃が常に自分に向いている
という(自然な)姿勢”は【感じ取る】しか
ないのだと思います。

  それ無くして、どんなに優れた「反論」を
している“つもり”になっても、その人の空しい
プライドの皮が突っ張っているだけ
—浅薄で陰湿な臭気が噴き出ているのを
サトラレてしまいます。
(cf.執拗な弱者のルサンチマン
≒排除されてもウラミヲハラスコメント@ライジング)

> 思想し続けることは常に自分を疑い続ける態度
 だから、承認願望が充たされない。
 (「完成しないから人生に意味がある」より)

>男でも、女でも、間違いは犯すが、
 あっさり認めて、謝罪すればいい。
 メンツや意固地を貫くようなら「公論」の
 妨げにしかならない。
 しかし、知識人の世界でも、「公論」なんか
 二の次三の次、一番大事なのは自分の
 メンツと意固地、そういう者ばかりで、
 うんざりする。
 (「プライドのないメンツ主義者」より)

> 人間は完成しないものだと思い、日々勉強だと
 心がけ、常に考え、思想し、成長し続けて行く
 しかない。そのためには、間違いは間違いだと
 認めていかなければならない。—(中略)—
 「謝ったら死ぬ病気」が、権力者のトップから、 
 報道の人間から、一般人、ライジングの読者に
 まで蔓延している。
 (「『謝ったら死ぬ病気』に罹るな!」より)

 SPA!ゴー宣第十五章
 「なぜ高学歴の若者がオウムに入ったか」と
 FLASHよしりん辻説法
 「オウムよく言えどもカルトを離れず」で、
 ともにオウム真理教事件について
 ほぼ同時に取り上げられました。

  両方に、事件当時オウムに好意的で擁護する
発言をしていた罪深き“知識人”の面々が名前入りで
しっかり描かれています。当人たちは知らん顔・
忘れたふりしてその後もイケシャアシャアと
言論活動していましたが、よしりん先生は
決して忘れてないぞ!事実は消えないぞ!。

  そして死刑執行の期に及んで
「オウムの謎は未だに解明されていない」と
執行に疑問を呈する“エセ知識人”の面々も
(こちらは似顔絵のみで)描かれています
(誰かは一目瞭然!)。

  ただ一つ!、マスコミが自らに刃を向けた
記事がありました。SPA!の7/31日号
「オウム真理教とは何だったのか?」です。
当時の自誌の記事の写真入りで
「このように怪しげな教団を無批判に取り上げて
しまったことへの自戒の念は、決して消える
ことはない」と(p23)。驚きました。

  誤りが明らかになっても決して謝罪しない者
—忘れたふり・許されたふりをして次の言論へ
移行。でも事実は消えないで残る、
—黙って見ている衆人の中に、
誰より自分自身の中に・・・。

  前記の三つのブログやゴー宣が繋がって、
読者達が歩いて行く先を照らして
いるような気がします。

  —≪誤りて 謝らずして 危ぶまれ≫
—-あや・あや・あや;;。
(和ナビイさん)

 



自分の誤りを認めていくことは、
正直シンドイと思うこともあるんですが、
よしりん先生はそんなことは当然の前提と
しているわけで、最初から物事考える
次元が違ってるんだなあと思います。

トッキー

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