ゴー宣DOJO

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笹幸恵
2019.1.23 18:50日々の出来事

門下生動画、楽しかったです。

先ほど配信された門下生動画、
ちぇぶさんとけろ坊さんの
「軍トリ#17の感想を語ってみた」を
興味深く拝聴しました。
誰かが動画の感想を語ってくれるって
嬉しいものですね。
「最前線に立つ」ってところから、
天皇陛下やAさん(笑)の話が出るなんて、
想像もしませんでした。
こうやって話が膨らんでいくっていうのは
ひとり語りだとなかなかできないし、
そういう発想もなかったので、ハッとしました。

戦争について、後世の我々が批判する資格はない。
それはその通りなのですが、だからといって
戦争について語ってはいけない、
ということでは全然ないと私は思っています。
良いところ、すごいところはもちろんですし、
むしろ、負けたのだから、その敗因をしっかりと
追究しなければなりません。
その意味で、批判というよりは、“検証”が大事です。
「なぜか?」という問いです。
スポーツの試合だって、負けたら「この試合は悪でした」
と切り捨てたりなんかしませんよね。
敗因を分析しないチームなんてありませんよね。
むしろ負けたほうにこそ、その敗因分析によって
得るものがある(というか、それがなければ負けた甲斐もない)。
当時の兵士たちの死が無駄死にだったかどうかは、
後世を生きる私たちの生き方にかかっている、と
私は考えるのは、そのためです。
(にもかかわらず、戦後日本は戦争そのものを
悪として直視せず頬かむりした。腹立たしい)

また、たとえば山本七平氏が指摘するように、
日本人の「空気」が戦争に抗うことのできない
流れを作ったと考えるのなら、今の自分は、
まわりの「空気」に流されていないか、
そう省みることができるのが、近現代史を学ぶ
大きな意義だと思います。

ただ、個々の作戦などをあれこれ勉強していくと、
当時の軍人はやっぱり非常に頭が良いので、
私なんかが想定するようなことは当然考慮に入れて
作戦したりしてるんですよね。
けど負けた。合成の誤謬みたいなものです。
あるいは、やはり必然だったのかも?と
思うこともあります。どうしようもなかった。
このことを理解するには、さらに外交とか
国際社会の大きな流れとか、あるいは国内産業とか、
戦史以外の大局を勉強しなければならないのだけど、
まだまだ追いつきません。

いずれにせよ、たいして事実を知りもしないのに、
覚悟して試合に臨んだ選手でもないくせに、
「あの試合は愚かだった」とか言って
そこから何も学ぼうとしないこと、
それこそが最も唾棄すべき態度でしょう。
「批判する資格はない」というのは、
そういう意味だと私は理解しています。
批判する前に学べ!
自分だったら、と想像力を働かせろ!
勝手なこと言ってんじゃね~ぞ!
と、自分が選手だったら思うはず。

少なくとも結果を知る者の驕りがそこにないか、
つねに自戒しながら、そして当時の価値観を十分に
理解しつつ、歴史に謙虚に向き合いたいと思います。

これがホント難しいんですけども。


ボンさんのコーヒーの淹れ方も勉強になりました。
10円玉くらい、ですね!
いつも大きくグルグル回して淹れてましたわ・・・。


 

笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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