明治の皇室典範の起草に当たった
柳原前光(やなぎわらさきみつ)。
その後世への貢献について述べておきたい。
同典範の起草に携わった柳原と井上毅(こわし)は、
共に「譲位」を認めるべしとの立場だった。
だから当初、典範の草案には以下のようにあった。
「天皇ハ終身大位(=皇位)ニ当(あた)ル。
但シ身体ニ於テ不治ノ重患アル時ハ元老院ニ諮詢シ
皇位継承ノ順序ニ依リ其(そ)ノ位ヲ譲ルコトヲ得(う)」と。
但シ身体ニ於テ不治ノ重患アル時ハ元老院ニ諮詢シ
皇位継承ノ順序ニ依リ其(そ)ノ位ヲ譲ルコトヲ得(う)」と。
ところが、伊藤博文は譲位容認案を拒絶。
その時に、柳原は譲位を認めた
“但し書き”だけではなく、全文を削除するように
逆提案。
伊藤もそれに同意した。
これは見逃せない重要な事実だ。
もし但し書きだけが削られて、
「終身大位ニ当ル」という条文が
そのまま残っていたらどうなったか。
今の典範にも同趣旨の規定が
踏襲された可能性が高い。
積極的に「終身在位」を要請する規定が
“現に”存在すれば、譲位を可能にするのは
その条文と真正面から衝突するので、
(法技術的にはともかく)心理的に巨大な障壁に
直面せざるを得ない。
実際の法整備はかなり困難になったはずだ。
私自身、民間の立場で
皇室典範特例法の制定に些か関与した
体験に照らしても、その事はたやすく想像できる。
幸い、柳原が機転を働かせたお蔭で、
今の典範には次の条文があるのみ。
「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」
(4条)崩御による即位だけを規定した“結果”、
譲位の可能性が排除されたにとどまる。
柳原の逆提案によって、
旧典範から終身在位規定が削られていたので、
特例法制定のハードルは、明らかに“より”低くなった。
柳原の深謀遠慮が百年以上の歳月を経て、
見事に実ったとも言える。
今上陛下のご譲位を控え、
この人物の功績を見落としてはならない。