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高森明勅
2019.7.9 06:00皇室

古代における「女帝」の用例

女性天皇を歴史上、「女帝」と呼んで来た。
男尊女卑=父系制(男系主義)の社会を形作ったシナには、
例外的にたった1人の女帝(則天武后〔そくてんぶこう〕=則天大聖皇帝)
が存在したのみだった。

又、シナ文明の“洪水”のような影響下に置かれた朝鮮半島の場合、
3人の女王がいたにとどまる(新羅〔しらぎ〕の善徳王・真徳王・真聖王)。

これらに対し、わが国では10代8方の女性天皇がおられた事実は、
よく知られているだろう。

シナとは違う「日本らしさ」を表す事実だ。
「女帝」という語の用例について、『日本国語大辞典』(第11巻)
の「女帝」の項目には『栄花物語』の中で孝謙天皇(第46代)を
「高野の女帝」と称している例などを挙げている。


同書(正篇)は長元6年(1033)頃に成立したとされている。

よって、その頃に「女帝」の語が遣われていたのは間違いない。
それどころか、これより三百年ほど遡る用例がある。
『類聚三代格(るいじゅうさんだいきゃく)』に収める天平3年(731)
6月24日の「勅」に見えているもの。

これは勿論、法制文書であるが、
そこに「男帝」と「女帝」という語が並んで出てくる。

これによって、「女帝」が8世紀前半に既に用いられ、
しかも公式な法制用語だった事実が確認できる。

『養老令(ようろうりょう)』の施行は757年だから、
同「継嗣令(けいしりょう)」の本注にある「女帝」より古い用例だ。
『令集解(りょうのしゅうげ)』に引用する
『古記(こき)』(738年頃に成立)にも「男帝」「女帝」が出てくる。

しかも同書は『大宝令(たいほうりょう)』(701年施行)の注釈書であるから、
「女帝」という語は同令には既に存在していた事が確認できる。
「女帝」(女性天皇)は、古代の日本にとって、
「男帝」(男性天皇)と並んで普通の君主の在り方だった。

【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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