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笹幸恵
2020.1.8 15:31日々の出来事

誰かが戦死しないと目が覚めないのだろうか。

今朝、イランがイラクにある米軍基地に
弾道ミサイルを発射した。
先日、革命防衛軍の司令官が殺害されたことに
対する報復で、作戦名には司令官の名が冠されている。
今のところ、ジブチの自衛隊の拠点に変化はないという。
政府は中東地域へ護衛艦と哨戒機を派遣する方針を
変えていない。
だけど、このまま報復合戦がエスカレートすれば、
中東地域は「戦場」となる。

今回、中東地域に自衛隊が派遣される根拠は
自衛隊設置法にある「調査・研究」だ。
日本周辺の領域警備も「調査・研究」。
海外派遣も「調査・研究」。
タンカーを護衛するのは「調査・研究」なのか?
まったく奇妙な日本語である。
とりあえず法として明文化されていない事態に
対応するときは、これを当てはめておけばよい。
正確ではないけれど、何となく正当化された気分になる。
まったく便利な日本語である。

もし不測の事態が起きた場合は、海上警備行動が
発令されるという。
「これでちゃんと対処できるのね、なら安心」
と思ってしまいがちだが、そうではない。
武器の使用権限は、警察官職務執行法が準用される。
「事態に応じ合理的に必要とされる限度において、
武器を使用することができる」と規定されているが、
正当防衛もしくは緊急避難に該当する以外は
「人に危害を加えてはならない」と記されている。
あれやこれやと条件が書かれているのだけど、
要するに海上警備行動が発令されたとしても、
自衛隊は「軍隊」として、他国からの攻撃に
十分に対処できるわけではない、ということだ。

それもこれも、憲法9条が「戦力」を持つことを
放棄しているから。
そのため、自衛隊はいくら規模と任務が大きくなっても
軍隊として行動することができない。
それでも国際情勢に対応していかなくてはならないから、
苦肉の策として「調査・研究」などという
奇妙で便利な、そして場当たり的なまやかしを
根拠として派遣されなければならない。
武器を使用したら、それは命じた上官ではなく、
撃った本人の責任が問われる。

こんなバカな話ってあるだろうか。
国家として、軍隊の派遣が必要だと判断するならば、
ちゃんと軍隊として送り出しなさいよ。
もういい加減、何となくの正当化と
場当たり的な対処はやめて、
この国のかたちについて
政治家はちゃんと議論をしてほしい。

自衛官の誰かが「戦死」しなければ、
政治家は目が覚めないのだろうか。
いや、「戦死」してもなお、日本に「戦死」はない、
これは「殉職」だと、言葉遊びを始めそうな気すら
してしまう・・・。

 

笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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