ゴー宣ネット道場

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笹幸恵
2020.2.29 14:05日々の出来事

『慰安婦』感想

遅ればせながら、小林先生の『慰安婦』を読んだ。
かなり文字が多かったけど、一気読み。

まず全体を通して感じたのは、
慰安婦問題にまつわる問題を時系列で
辿ることができるので、理解が深まるということ。
これまで先生から「5対1の討論をやった」
などといった話を聞いたことはあったけれど、
今回『慰安婦』を読んでその背景まで知って、
なるほどこういうことだったか~と納得。
この時期、私は『アーロン収容所』を読んで
自分で戦争のことを勉強しなければいかんな、と
思っていたけれど、社会人になったばかりで
その余裕が全くなかった。
一人暮らしで環境が変わったこともあり、
アトピーを発症して苦しむ日々。
自分のことだけで精一杯だった。
そんなときに小林先生はこんな闘いをして
いたのかあ~、と、しみじみ思い知る。

もう一つ、あらためて驚いたのは、
こんな状況でもニヒリズムに陥ることなく
ペンの力で表現を続けていること。
もはや慰安婦問題が信仰と化し、
ムチャクチャな主張を続ける吉見義明氏や
左翼集団に対して、決してあきらめることなく、
真正面から検証を続けてみせている。
健全な思想のありようを漫画を通して
示し続けていると言っていい。
学ぶところが多い。
今だって、皇統問題などに対して、
男系原理主義者はムチャクチャな主張をする。
自分の信仰のためなら、黒も白と言い、
白なのに何とかして黒にしようとしたりもする。
私などは、つい心の中で罵詈雑言を浴びせてしまう。
バカなの?
もはやどっから突っ込んでいいかも
わからないんだけど。
こんなんで学者を名乗っていいの?
知的誠実さはどこ行った?
良心はないのか?
やっぱりバカか?
知性のカケラもねーな!……etc.
でも『慰安婦』では、品性下劣な発言に対しても
決してそれと同じ土俵には上がらない。
このことが、どれほどの良識と自制心を必要とするか、
今なら少しはわかるつもりでいる。
人間、脊髄反射したほうが、よっぽどラクなのだ。

あるいは私なら、問題そのものを面倒くさくなって
投げ出してしまうかもしれない。
朝ナマの出演者で、日本の戦争責任を
追求し続けようとする輩が、こう言うシーンがある。

「オレとは関係ないから。前の世代がやったことだから」

カッときた。
ふっざけんな!!!
あまりに傲慢、あまりに無責任。
こいつにはどんな罵詈雑言を浴びせても
全然足りない!!!
でもその直後、なんだか悲しく、情けなくなった。
もうこいつには何を言っても無駄だ……。

ところが、こいつの存在をひっくるめて、
小林先生はこう書いている。

「わしの力量不足だと思う」

うへ~~~。

さらには、こう書く。

「わしはこの様な『逆らえない空気』が
世の中を支配した時
一気に風穴をあけて悲劇を防げるか?
という問いをよく自分に発する」

このセリフにはシビれました。

私はその昔、会社の仲良しだった部長に、
戦争について勉強したいと打ち明けたことがある。
ちゃんと戦争について学んで、
皆が戦争はイヤだというときは、
「それが必要なときもあるのだ」と言いたいし、
皆が戦争やれやれ!という空気になっているときは、
「ちょっと待て」と言える人間でありたい。
そう偉そうに語っていた(四半世紀前)。
今でもその気持ちに変わりはないのだけど、
それがいかに難しいことかもわかる。
だからこそ、「もうしょうがない」という気持ちに
なってしまうことも多い。

「この問いをよく自分に発する」
小林先生のこのセリフには、思いっきり
尻を叩かれたような気持ちになった。
諦めるのも自分、闘い続けるのも自分。
結局は自分が弱いか強いかだけだ!
そう言われているように感じた。

いずれにせよ、当時、こんなこわばった空気が
支配していたのか……というのを
あらためて実感しました。
確かに私も軍隊のことを勉強したい、と言ったら、
それだけで「右翼だ!」と責められたもんなあ。

それからもう一つ、ヴァイツゼッカーの言葉。

「過去からの教訓を学ばぬ者は
罰として何度も同じ過ちを繰り返す」

この言葉に初めて触れたとき、私は、こう理解した。
日本にとって「過去からの教訓」とは、
異論を許さぬ空気が国を亡ぼしかけた、ということ
(決して戦争をしたのが悪かった、ということではない)。
だから、NOと言える、ちょっと待てと言える、
そしてそれを受け止めて論理的かつ誠実に吟味する
土壌が育つこと。
そうでなければ教訓を生かしたとは言えない。
戦前アンチ、軍国アンチの左翼は、
硬直した思考が右から左にブレただけで、
私から見れば過去からの教訓をまったく学んでいない
ように思えた。
だから同じ過ちを繰り返しているんだな~と。
でもこれ、左翼が使っていた言葉だったのですね。
この本で初めて知りました。


最後に、もくれんさんの寄稿について。
これを読むと、人権主義者の薄っぺらさが
とてもよくわかる。
きれいごとが何の役にも立たないことがある。
理想を追い求めるのは良いけれど、
現実から浮遊していたのでは何の意味もない。
人間社会はもっと複雑で、混沌としている。
「地に足つけて」モノを見る、考えることが
いかに重要か、スパーーンと提示してみせる
カッコよさがありました。
(しかし、ヘヴィメタやアラビア語だけじゃなくて
猫にもハマっていたのか……)
笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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