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高森明勅
2020.9.26 06:00皇室

さしのぼる朝日の光

昭和天皇の戦後の御製(ぎょせい)にも、「君主」としての
ご自覚がよく表れている。
例えば、昭和35年の新年歌会始(うたかいはじめ)で
ご発表になった御製(お題は「光」)。

さしのぼる
朝日の光
へだてなく
世を照らさむぞ
わがねがひ(願い)なる

この御製は勿論(もちろん)、明治天皇の次の御製
(明治42年の御作)を踏まえておられた。

さしのぼる
朝日のごとく
さはやか(爽やか)に
もたまほしき(持たま欲しき)は
こころ(心)なりけり

2首の御製を比べると、君主としてのご自覚がより前面に表れているのは、
昭和天皇の御製の方だろう。
この御製の眼目は「へだてなく」。
国民の全てを「へだてなく」慈(いつく)しもう、とされる
昭和天皇のお気持ちが、率直に表現されている。

何より、この御製の“調べ”(言葉の調子)が、全く淀(よど)みも
滞(とどこお)りも無く、清澄を極めている事実によって、
それが昭和天皇の心底からのお気持ちであることが分かる。

“朝日の光”が地上の全ての物を「へだてなく」照らすように、
自分自身も又、そのように国民に臨みたい、と。まさに「君主」
としても一段、格調の高い公平無私、一視同仁(いっしどうじん)の
お気持ちを拝することができる。

これは、改めて申す迄もなく、「天皇」として時代を超え、
個性を超えた普遍的なご態度を示されている。
と同時に、当時の社会情勢への、毅然(きぜん)たるご姿勢を
お示しになったものでもあった。
と言うのは、前年から日米安保条約の改定を巡り、国内を二分する
政治的対立が尖鋭化していたからだ。

昭和34年11月27日には安保改定阻止を訴えるデモ隊2万人が
国会構内に突入する事件も起きていた(この時、デモ隊に加わっていた
東大生の樺〔かんば〕美智子さんが死去)。
国内は騒然たる有り様だった。
そのような中でも、昭和天皇は超然と「国民“統合”の象徴」としての
お姿をお示しになったのであった。

ちなみに、その頃、昭和天皇はまだ、皇居内の防空施設である
「御文庫(おぶんこ)」で暮らしておられた。
戦時中、米軍による空襲を避ける為に、昭和18年4月1日から
、居住性において劣悪であり、衛生上も問題のある同施設での
生活を始められた。

戦争終結後は、(明治宮殿が戦災により類燃していたので)宮内庁の内外で
御所(ごしょ=天皇のお住まい)の建設を求める声が高まっても、
国民の生活改善を優先すべきであるとのお考えから、
なかなかお許しにならなかった。

昭和天皇の新しいお住まいの「吹上(ふきあげ)御所」が
完成したのは昭和36年で、同年12月初めにそこにお移りになっている。
前後19年近くも、不便・不快な防空施設での生活を続けて
おられたことになる。

昭和天皇のご年齢にして、
40歳代前半から60歳に掛けての長い歳月に当たる。
世界の中で、国民の生活を思いやって、ここまでご自身の苦しみに
耐え続けられた君主は、果たした他国に存在しただろうか。
しかも、この事実は恐らく、今も多くの国民には知られないままではないか。

【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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