日本歴史学会編集の『日本歴史』令和5年5月号は丁度、
第900号なので、「『日本歴史』で振り返る日本史学界」
という記念特集を組んでいる。古代から近代に至る多彩な業績を取り上げ、
史学史的な再評価を試みている。
興味深い内容が多い。その中で、戦後歴史学のマルクス主義的な偏向の実態について、
正直な証言が見られる。
歴史学者で九州大学教授の福田千鶴氏の一文だ。
そこに次のような記述がある。「筆者が歴史学を志した1980年代はまだ、
『すべての歴史は階級闘争の歴史である』というテーゼ
(マルクス、エンゲルス『共産党宣言』の第1章は
「これまでの社会のすべての歴史は階級闘争の歴史である」という
断定から書き始められていた―引用者)のもとに、歴史研究が
進められていた。
…近年、近世史の論文で『階級闘争』や『変革主体』などの文字を
見ることはほぼ皆無となった。
こうした概念を用いなくても、論文を書いてよい時代になったと
いえばわかりやすいだろうか。
1980年代の階級闘争史観全盛期を知る者からすれば、隔世の感がある」これは言い換えると、「階級闘争」とか「変革主体」といった
マルクス主義的な概念を使わないと、歴史学の論文として
認めて貰えなかった時期があったということだ。それは何も「近世史」に限った話ではない。
私自身の見聞に照らしても、まさにその通りだった。
更に1980年代というより、もっと広く同年代以前と言うべきだろうか。だから、その頃の歴史学の論文を読む時は、
そうした学問領域より“手前”の、事実上の強制が
存在していた現実を見落としてはならない。1980年代と90年代との間に何があったか。
改めて言うまでもなく、ソ連の崩壊であり、冷戦の終焉だ。
そのような国際政治の激変など、本来ならアカデミックな
歴史研究の動向とは直接、関わりないはずだ。しかし実際に、これによって戦後歴史学は大きく変貌した。
この事実は何を意味するか。戦後歴史学が、政治的な要因によって
強く規制されていたのを、裏側から証明するものと言える。追記
4月26日、プレジデントオンライン「高森明勅の皇室ウォッチ」が
公開された(今月3回目)。
先頃、新装復刊され、大きな反響を呼んでいる、
天皇陛下の清新な青春の記録『テムズとともに 英国の二年間』
について取り上げた。
■記事はこちら
https://president.jp/articles/-/68853
【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/
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