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倉持麟太郎
2023.5.6 10:41

【「抜き足差し足立憲主義」を終わらせる?!@憲法記念日 #クソすば】

今年の憲法記念日に配信の日が重なりましたので、戦後、「解釈の変更」で憲法を「救済」してるのか、むしろ実は「殺してる」のか問題を取り上げました✎
ここで紹介したのが、1952年に法律雑誌『ジュリスト』で行われた今から見ると法学者の神々みたいな先生たちの「憲法改正と再軍備」と題した座談会。
我妻榮(民法)、宮沢俊義(憲法)、田中二郎(行政法)、兼子一(民訴)、石井照久(商法/労働法)、団藤重光(刑法)
の6名が、当時日本国憲法がGHQ主導で作られたことが世の明るみに出て、「押しつけだー!」とか騒がしくなっていた頃、同時に警察予備隊から保安隊・防衛隊(自衛隊)に改編していくという日本国憲法の在り方にとって超重要局面で、再軍備にあたって憲法をどうすべきか真剣に語り合っています。
それが本当に自由かつ全うで、主権者国民に開かれています。
参加者全員が、「解釈でずるずる改正したのと同じようにしてはまずい」「法治国家として歩き出す決意をしたなら国民の意見を聞いてどんなに副作用があろうが憲法改正に向き合うべきだ」という趣旨で一致してるんです。
以下、少し引用
我妻先生が切り出します
”占領下の押しつけ憲法論”も、”憲法はそのままで解釈でできるだけのことをやっているべき論”も
「この二つの議論は両方の極端で、私はどっちも賛成できない」
その上で、
我妻「この憲法をどこまでも維持して、たとえば再軍備のような憲法制定の当時にはおそらく考えられなかった問題でも、憲法をいじくらないでそのままでやって行こう、またやってゆけるという態度をとることには、私は賛成できないのです。それで、私の考えでは、やはり重要な問題については憲法の無理な解釈をしないで、それを堂々と取上げて、国民全体の輿論を聞いて、十分論議を盡した上で改正するかしないかをきめるという公明な態度をとる必要があると、そう思うのです。」
田中「旧憲法の時代には憲法を「不磨の大典」とし、天皇の発議によってのみ改正できるものとしていたために、憲法の改正問題を論ずることそのことを非常に躊躇するという傾向が強かったと思うのですが、新憲法については(中略)これを改正することを窮屈に考えるべきではないでしょう。」
「憲法をルーズに解釈してずるずるに、あたかもそれを改正したのと同じような実質的内容を与えて行こうということは考えものです。殊に、今後一層、法治国家的な考え方を確立して行こうという現在の過程において、そういう考え方は非常に問題じゃないかと思います。」
団藤「防衛隊なり予備隊というものを将来いつまでも国内秩序の維持のためだけに使うということがはたして保障されるかどうか。(中略)政府のいうように、国内秩序の維持のために使うのだから警察力だ、戦力じゃないのだとうのは非常に乱暴な議論だと思う。」←この団藤先生の危惧は的中でしたね。自衛隊が専守防衛で海外派兵しないなんてはたして保障されるか?にそのまま置き換わる。法学者ならこうでなくっちゃ
宮沢「こういう難しい問題についてはやはり国民全体が十分討議して、決定するチャンスを与えることは非常にのぞましいことじゃないかと考えますね」
そして、最後の我妻先生の言葉が刺さります
我妻「制定当時の事情が全部明るみに出た今日、この憲法のもとにこれ以上のことをやるのは何といってもこじつけだ。(中略)国会でも十分討論して、…ああした事情でできた憲法がこうした国際事情になったときに、われらは何をすべきかということをはっきり決定すべきではないか。つまり抜き足差し足では困る。ここでちゃんと歩き直さなくちゃならぬのじゃないか」
これそのまま2023年にもあてはまりませんか?
「抜き足差し足」とは「人に気づかれないように音を立てずに歩くさま」です。
そう、このときからずっと日本は「”抜き足差し足”立憲主義」です。
「ここでちゃんと歩き直さなくちゃならぬのじゃないか」というのは、今からでも遅いとかそういう問題ではなく、普遍的課題であり続けていると思います。
戦後5年ちょっとの時の方が、界隈の人目を気にした「エリートぶる」素振りもなく、自由かつ真剣に憲法を論じられていたのかなと言う空気みたいなものを感じました。
と同時に、このように法分野を越えて、国家の在り方の根本について議論しているわけですが、誰一人として「私は専門外ですが」とか、「あなたは専門外でしょう」とかいう雰囲気ゼロなんですね。
今だと、とにかく専門がどうだっていう水際作戦で議論を封じよう、価値を減じようという「専門家」の方が大変多いわけですが(コロナ禍に顕著でしたね!)、このときの専門家はまだジェネラリスト的な感覚、そういう意味での共通言語とリスペクトがあったのかなとも感じたよね。
その他にも、「解釈」と「改憲」についても、
解釈がどこまでいったら改憲なの?についても、結局は自分の政治的立場から望ましければ「プラグマティック(現実的)な解釈」と言い、自分の政治的立場から望ましくなければ「解釈改憲」と言っているだけなんですよね。
「憲法改正じゃなく法律でもできる!」の多くは護憲も改憲も自分の政治的立場にとって望ましいかどうかが基準です。
7条,9条,24条,53条,54条,89条などなど、そういうダブルスタンダードについても取り上げました。
立憲主義国家、法の支配というのなら、1947年から一言一句憲法(constitution)が変わってないのに、こんなに国のかたち(constitution)が変わっていることにもうちょっと危機感と自覚を持った方がよい。そこにあるconstitutionて同一性をもってるんでしょうか??
そんな問いを自分にも問いかけながら堀さんと楽しく話しましたので、是非連休最後にご覧ください!👀
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倉持麟太郎

慶応義塾⼤学法学部卒業、 中央⼤学法科⼤学院修了 2012年弁護⼠登録 (第⼆東京弁護⼠会)
日本弁護士連合会憲法問題対策本部幹事。東京MX「モーニングクロ ス」レギュラーコメンテーター、。2015年衆議院平和安全法制特別委員会公聴会で参考⼈として意⾒陳述、同年World forum for Democracy (欧州評議会主催)にてSpeakerとして参加。2017年度アメリカ国務省International Visitor Leadership Program(IVLP)招聘、朝日新聞言論サイトWEBRONZAレギュラー執筆等、幅広く活動中。

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