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大須賀淳
2023.8.1 15:43その他ニュース

「風当たり」こそが世界をクリアにする

村上春樹のデビュー作は「風の歌を聴け」でしたが、皆さん「風の音」と言ったらどんなのを想像します?

 

ヒュ〜ルリ〜ヒュルリララ〜?(古い)

 

理屈っぽいことを言うと、風(気流)そのものに固有の音はなく、空気が何らかの物体に衝突した際、そこで生じた振動がいわゆる「風の音」になります。

 

そしてさらに理屈っぽい事を言えば(笑)「風の音」として認識されているものの大半は、空気と物体の衝突により生じた振動を「第三者が観測した結果」。

 

ここまでは物理的な現象の話ですが、「公論」を考える際の抽象概念にも面白いように当てはまります

 

どんな突風が吹いていても、そこに向かい立つ存在がなければ、多くの人は風の存在を観測できず「無風」と誤認。その結果、風はあらゆるものを倒して壊したり、方向を誤らせたりと様々な狼藉をはたらきます。

 

皇統問題における「静謐な環境で議論を」などという言説は、まさに「風の存在」を国民に認識させずに、特定の思惑を成就させようとする行いに他なりません。

 

先日開催した「愛子さまを皇太子に」を始めとする様々な活動も、それそのものが皇室典範などを直接変える力は、当然ながら持ちません。

 

しかし、「風当たり」を厭わず立ち向かう事で、風と身体の衝突により発生した「音」は第三者(サイレントマジョリティ)に風の向きや強さを認識させ、やがてこの国、この世界の姿を浮き彫りに。それこそが、いよいよ事態を「直接動かす」原動力になるでしょう。

 

この構造こそが「公論の形成」であり、衝突の忌避や、風上に回る事を「目的」とするような精神性こそが、公(自分はこれを「未来へつなぐための責任と希望」と捉えます)を最も毀損してしまいます。

 

風に直接吹き付けられている張本人は「ボソボソボソボソッ」という大音響しか聴こえず不安になりがちですが、その外側では、これまで捉え所の無かったあらゆるものがクリアになっています。

 

目指すは、かりそめの静謐ではなく、エモーショナルな衝突

 

それをエンタメで、笑いや情熱や幸福に溢れた形でやる!やろう!

大須賀淳

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