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ゴー宣ジャーナリスト
2024.1.5 07:00ゴー宣道場

エンタメを通して皇室を語る

奈良市在住、ゴー宣ジャーナリストの だふね です。

1月1日に発生した能登半島地震において被災された方々に、心より御見舞い申し上げます。
新年一般参賀も中止となりましたが、天皇皇后両陛下、皇族の方々の「国民と苦楽をともにする」姿勢が、改めて心に沁みました。
よって、今年最初の記事は、私も大好きな皇室のことについて。(以下、文中敬称略)

今の時代、「誰一人その名を知らない者はいない」という大スターはいません。が、皇室の方々のことは、老若男女問わず国民に認知され、それどころか日本という枠を超えて世界にまで伝わっています。専門知識はなくても、その存在感は、人々の中でけっして小さくはないのですね。良くも悪くも。

皆さんにお訊きします。皇室の存在を、いつ、どこで知りましたか?

私の場合、小学校高学年の頃毎週のように行っていた祖母の家に、たくさん女性週刊誌が置いてあったことから。よくカラーグラビアをめくって、楽しんでいました。
芸能人だけでなく、皇室のことも特集していて、私は最初、両方の違いがわからなかったぐらい。それでも、人前で歌ったり踊ったりしなくても、佇まいだけで人々の耳目を集める人たちがいるのだと、次第に察するようになりました。

つまり、私は雑誌という「エンタメ」を通して、皇室が少しずつ身近になったのです。
「天皇って、何?」と親や教師に訊いても、明快に答えてくれないから。

古くから続く家であることは、社会の授業でわかった。無知な子どもでもご近影でわかるほど、上品でお金持ち。私たちとは教養のレベルも違う。でも、自由がない。堅苦しそう。そんな場所で暮らしていけるなんて、すごいなぁ。

しかし、皇室にそのようなイメージを持っていた私に、新鮮な驚きをもたらしてくれたのが、当時皇太子だった今上陛下です。
昭和61年(1986年)10月19日、歌手の柏原芳恵のリサイタルに、皇太子が公式にお出ましになられたニュースには、「皇族も、そんなの聴くんや!」と私(当時12歳)もビックリ仰天。

もちろん、世間にとっても前代未聞、空前絶後の出来事であったらしく、柏原は後年「想像を超えていた。翌日の新聞、一般紙からスポーツ紙まで一面を飾った」(要旨)と振り返っている。 
元々リサイタルのビデオ制作会社が、柏原のファンを公言されていた皇太子に、宮内庁を通して打診したとか。バブル時代の業界って無節操やなぁ( ̄▽ ̄;) それでもまさか、本当に承諾してもらえるとは、夢想だにしなかったはず(@_@;) 

柏原はコンサート当日、「殿下をお迎えした時もお話をさせていただいた」のだが、そこに至るまでの事前打ち合わせはドタバタだった。
「『ようこそ、こんにちは』って、『お越しくださいました』って言っていいんですか?」と柏原が確認すると、現場スタッフは「いや、ちょっと待って。宮内庁に問い合わせるから」とストップをかけた。宮内庁は「前例がございません」と回答。柏原とスタッフは「どうしたらいいの?」「いやぁ、どうしたらいいんだろうねぇ」「じゃ、こうこうこう言ったらどうなんですか?」「宮内庁に問い合わせてみる」とやり取りしたが、宮内庁は「いや、もう前例がございません」の一点張りだったという。
(令和5年12月21日「東スポWEB」記事より抜粋)
…想像すると、何ともおかしいけれど、並々ならぬ緊迫感も伝わってくる。

果たして、リサイタル会場にて数十社の報道陣と厳重な警備体制が待機していたところへ、皇太子はカジュアルな装いでお見えになりました。場に居合わせた人々は、その自然体なお姿を見て、ホッとしたに違いない(^^;
交わす言葉は短かったものの、皇太子が相手へのプレゼントにと携えたバラは、東宮御所の庭に咲いていた一輪。


プリンセス・サヤコ

このバラが、陛下の飾らない人柄を雄弁に物語ってくれている気がして、微笑ましくなります(*^-^*) 柏原も、バラは真空状態のガラスケースに納め、当時の形のまま大切に保管しているとのこと。一生の思い出でしょうね。

ちなみに、このリサイタルの前日のお茶会で、陛下は雅子さまとの運命的な出会いを果たされています。リサイタルの話題に隠れたことで、お妃候補の雅子さまの存在がすぐに注目されることはありませんでした。雅子さまへのマスコミの取材攻勢が始まったのは、翌年の12月から。

また、陛下は『あしたのジョー』も読まれていました。ちばてつやは、かつて秋の園遊会で皇太子(今上陛下)から「日本の漫画やアニメーションが世界中で認められて、すごくいい文化に育てて下さいましたね」と直接声をかけられたとのこと。
ちばてつやは「皇室の方も漫画を読まれるのか」と意外に思ったそうだが、私は上皇ご夫妻の子育てにおける柔軟性、懐の深さに感謝申し上げたい。庶民でも、子どもに漫画など「楽しむこと」を禁じている親だって少なくないのだから。

エンタメとは、触れる人にとって、一つのことを幅広い切り口から学べる手段だ。人生を豊かにもしてくれる。エンタメの作り手に敬意を払いながら自らの感受性を育てたり、本質を見抜く力を涵養したりもできる。皇室でも庶民でも、その辺りにおいて隔たりはないはず。
むしろ今、皇室と庶民とを繋げる役割として、エンタメこそが重要なのではと感じます。

但し、エンタメも玉石混淆。まともな常識や判断力が欠如したまま、誤ったモノに触れたらどうなるか。デマに絡めとられたり、他者への寛容さを失ったりする危険性もある。現実に鬱屈して、承認欲求や差別心を拗らせた人たちにとって、皇室を攻撃し、皇統の安定的継承を危機に晒すことは一種のエンタメ(お遊び)でしょう。そのような歪んだモノで、誰も幸せにならない。

幸せになるには、まずこの動画から! これぞエンタメ!!( *´艸`)

皆さま、今年は「ゴー宣DOJO」を何卒よろしくお願いいたします。
よしりん先生に続き、私たち『ゴー宣』読者も、皇室への素朴な敬愛、自然な思いやりを再び人々に想起させ、躊躇なく示せるようにしましょう。

余談ですが、陛下と対面された時の柏原芳恵は21歳。なのに、色香がすごい! 今の小娘とはえらい違いぢゃ(;^ω^) 昭和の歌謡曲って、当時は気にも留めなかったけれど、歌詞も味わい深いし、かなり大人びていたんだなぁとしみじみ。

 

【だふね プロフィール】
昭和48年大阪生まれ。奈良市在住。主婦にして一男二女の母。ケアマネージャー。性格は‟慎重な行動派”‟陽気なペシミスト”(友人評)。趣味は映画鑑賞。特技は、すぐ涙を流せること。令和2年「関西ゴー宣道場設営隊(現・DOJOサポーター関西支部)」隊長就任。以後、現場を持ちながら公論イベントの盛り上げにも尽力。公私ともに濃密な日々を過ごしている。

 


 

 

【トッキーコメント】
今だったら、自称保守・ネトウヨがなんやかんやと難癖をつけてバッシングを始めること間違いなしといったエピソードです。
自称保守・ネトウヨこそ、自分たちの得手勝手な理屈で、皇室と国民の自然な絆を切断しようとしている存在であるし、もちろん真のエンタメの力を理解するだけの感性など、かけらもないということは間違いありません。
素朴な感性を大切にしましょう。最後にはそれが勝つのです!

 

 

 

 

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