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2024.1.30 07:00ゴー宣道場

日本人の「性」と「文化」についての一考察➁

奈良市在住のゴー宣ジャーナリスト だふね です。
前回に引き続き、日本の「性」と「文化」の繋がりについて、憚りながら書かせていただきます。

ジャニー喜多川氏の男色(少年愛)と、それと密接につながるショービジネスは日本で歓迎されていました。しかし、ジャニー氏が少年たちに「愛を持って接していた(実際どの程度だったかを証明できる、客観的な証拠は何もないが)」ことは、キリスト教文化圏の国にとっては甚だ「非常識」であり、「正義に反する」ものと捉えられています。
当の日本人がその事実に長らく無頓着だったのは、古来の男色文化が大衆に広く深く浸透していたからであり、罪悪感など持ちようもなかったでしょう。

2023年3月、「元ジャニーズJr.の証言」を基に制作したドキュメンタリーを放送したイギリスのBBCは、元Jr.のことを一方的に「性的グルーミングの被害者」と決めつけていました。
ところが、元Jr.本人が「(ジャニー氏を)受け入れている時点で、『これがあれば売れる』とか、(野心が)ちょっとあると思う。そこはどっちも責めれない」旨を述べており、異文化コミュニケーションで生じる「認識のズレ」に、私は笑っただけでした。

この「ズレ」について、私は昔の出来事を思い出しました。高校生の頃、イギリス映画『モーリス』(1987年)を観た時のこと。
1909年から数年間のイギリスを舞台に、モーリスとクライブというふたりの青年が愛し合い、やがて訣別するストーリーが展開されるのですが、同性愛が「犯罪」とされた時代があったなんてと、私は非常にビックリしたことを覚えています。


(amazonのホームページより引用)

貴族の男が「風俗壊乱罪」の現行犯(といっても、ちょっと相手を誘っただけ)で捕まって何もかも失い、衆人環視の中で懲役刑を言い渡される場面もあり。酷い屈辱を味わった上、裁判官からは「生涯をかけて償え」と突き放されるなど、高貴な身分の者にとっては死刑に等しく、恐怖だったことでしょう。

主人公のモーリスは、医師に「自分はオスカー・ワイルドと同じだ」「病気なら治してほしい」と懇願しても、「若い娘と結婚すれば治る」と乱暴な診断しかされない。周囲の無理解による当事者の苦悩は物凄かっただろうな、と胸が痛くなります。

イギリスの作家、オスカー・ワイルドは、1895年、男性との性行為をとがめられて投獄された。獄中では懺悔と反省の文を書き続けたと言う。服役を終えた頃には世間からも見捨てられており、1900年、46歳の若さで失意の内に亡くなっている。

昔のイギリスの「常識」に対する私の驚きは、BBC記者のアザー氏と似ていたことでしょう。「どうしても頭がついていかない。本当に理解できない!」という気持ちは、国ごとで違う歴史、価値観によるものだろうと、今なら理解できるのです。

私は、70年から80年代のメジャーな少女漫画に慣れ親しんだ世代です。少女漫画は、スポ根を除けば「恋愛の指南書」的な要素も大きく、描かれていた多くは異性愛でした。
その一方で、男色の場面(ストレートな表現も匂わせも含む)も、大なり小なり当たり前のように描かれていました。

『パタリロ!』『はいからさんが通る』『イブの息子たち』など、「雀百まで踊り忘れず」の諺どおり、私は今でも楽しんでいます。
当時の少女漫画には、長髪で線の細い、外見が女みたいな美男子も必ずと言って良いほど登場していました。「周りでは探しても見当たらない」というレベルのキャラクターも愛でつつ、私を含めた女子は、その中で愉悦のひと時を過ごしていたのです。

もちろん、筋と関係なく唐突に男色が出てくるワケではナイです。全編通してかくの如き描写が許されている作風なので、読み手も雰囲気に支配されると、ナニが出ても「そういうものだ」と身を委ねるしかなくなる、とでも言いましょうか…。

さて、すべてを網羅して紹介するのは不可能ですが、男色(少年愛)がメインテーマ、あるいは物語の鍵となっている少女漫画については、萩尾望都や竹宮恵子、山岸涼子などの大御所もヒット作を生み出しています。
これらは、わざわざ「BL(ボーイズラブ)」などとジャンル分けされているわけでもありません。国内で広くあまねく知れ渡り、文化的な功績として高く評価されている名作は数多いです。そこには、日本の「性に対する寛容さ」が発揮されていると言っても、過言ではありませんね。

※ちなみに「BL」は近年できた用語。同性愛(ゲイ)を題材とした小説や漫画などのジャンルを指します。私はずっと「やおい」もしくは「耽美」と呼んでいましたが、21世紀に入ると、それらを総まとめにした呼称として、すっかり定着しちゃいましたね。

それにしても、綺麗にパッケージされているとはいえ、子どもが男色の世界を覗いて楽しむのを、親を初めとする大人に止められたという記憶はありません。少なくとも私は、タブー視されて怒られたことも、漫画を取り上げられたこともない。せいぜい「勉強の邪魔にならないようにね」と言われたぐらい。
この大らかさの背景には、日本の長い歴史の中で醸成されてきた男色文化があるのだと、否応なしに感じてしまいます。

次回に続きます。

 


【だふね プロフィール】
昭和48年大阪生まれ。奈良市在住。主婦にして一男二女の母。ケアマネージャー。性格は‟慎重な行動派”‟陽気なペシミスト”(友人評)。趣味は映画鑑賞。特技は、すぐ涙を流せること。令和2年「関西ゴー宣道場設営隊(現・DOJOサポーター関西支部)」隊長就任。以後、現場を持ちながら公論イベントの盛り上げにも尽力。公私ともに濃密な日々を過ごしている。

 

 


 

 

【トッキーコメント】
それにしても、日本ではこれだけ「BL」文化が興隆しており、それこそが日本の性に対する寛容さ、とりわけ男色に対する許容度の高さを示しているというのは一目瞭然なのに、マスメディアでは誰も言わないのはなぜなんでしょう?
このままではそのうち、BBCかどこかが日本のBL文化を取材して「本当に理解できない!」とか言い出して、それを見た日本人の側が急に「これは恥ずかしい文化だったんだ!」とか言い出して、キャンセルを始めたりするんじゃないかと心配になってきます。

 

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