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2024.2.12 07:00ゴー宣道場

倫理は誰が(何が)決めるのか? その2

おはようございます。三味線です。
先週末のゴー宣DOJO、ホントすごかったですね(≧▽≦;!!
現地参加できて、本当に良かったー、嬉しくて嬉しくて、言葉にできない、ラララ、ララーラ、言葉にできなぁい♫

前回の続きです。前回はコチラ
https://www.gosen-dojo.com/blog/44934/

●再度、全体像

倫理は誰が(何が)決めるのか? という旅をしていますが、前回はこの図案の下位2層「経験と歴史」「文化や信仰/思い」を巡りました。個々の小さな経験が集まって、共同生活を送ることにより歴史となる。そこらから文化や信仰(思い)が生まれるところまで来ました。

そういや、ビスマルクの言葉だったか「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言われますが、あれは「愚者は思い込みに学び、賢者は経験と歴史に学ぶ」と言う方が適切でしょう。「経験」は基本的に事実だからです。ただ、すべてを経験することは不可能なので、そこはリアルな想像力(当事者意識)で補う必要があります。

●常識や非常識
前回紹介した通り、この図案では、経験や歴史、つまり事実から直接、常識や非常識が生まれるようには描いていません。その地域・共同体に根ざした文化や信仰(思い)を介して、常識や非常識が形成されるように描いています。
これは当然といえば当然で、よしりん先生が『日本人論』で描いて下さった通りはるか昔から性に対して非常に大らかな文化を形成してきた日本と、同性愛や小児性愛を処刑レベルの悪として禁じていたキリスト教圏では、その常識や非常識が全く異なるからです(そのくせ、カトリック教会では無数の少年少女が聖職者(性職者?)にレイプされていたのは、完全に教義矛盾です。結局キリスト教の禁忌も、壮大なタテマエなのでは(p_´)?という疑念が生じました)。

つまり、その土地の経験や歴史に基づいて、その上に築かれる文化や信仰は、基本的にその土地固有、その共同体固有ということです。そのさらに上に、やはりその時空固有の常識や非常識が成り立つということです。

●歪んでしまった(歪んでいく)常識
しかし昨今、BBCが発端となったジャニーズ叩きや松本人志叩きにみるように、これまで積み上げられてきた芸能の世界の歴史や文化が全く無視され、日本にとっては全く異質な常識(非常識)に完全に侵略・支配されてしまっていることが明らかになりました。
またSNSやヤフコメで見られるような、川に落ちた犬(ちょっと失敗した者)を寄って集って棒で叩くような実にみっともない卑しい姿も、少数の原住民を虐殺して滅ぼした恥ずべき西欧人の野蛮な歴史や文化を彷彿させます。

もちろん、本当にレイプ被害に遭った方は大変気の毒です。性犯罪者は問答無用で去勢するよう即法改正しなければならんと思っているほどです。(な~にが「人権」じゃ、ふざけるなボケヽ(`Д´#)ノ!!とつくづく思う)

新型コロナでは、ありもしない恐怖の炎を煽りに煽って荒稼ぎをし、自粛を強いて子供や若者の夢や希望を破壊し、ワクチン推奨大量殺人を犯した医者やテレビや政治家、取り立てて責める必要もないジャニーズ事務所や松本人志を集団リンチにして荒稼ぎした週刊誌やテレビ、....こういった連中は自分たちに批判の矛先が向くたびに、「誹謗中傷はいけません」などと必死に論点をそらしますが、こんな卑怯な偽善者たちは、はっきり言ってしまえば、極めて非常識な、人倫に悖るクズ中のクズとしか言いようがありません。

いい子ちゃん気取り・人気稼ぎをしなければ生きられない偽善者(とくにテレビや週刊誌、そんなものに出てチヤホヤ甘やかされるヒマな学者・弁護士・医者など)たちは、事実や倫理的判断にはほとんど何の関心もなく(というより元々実践知に乏しく、そういう能力が異常に低いことが多い)、「世間様に好かれたい」「欧米様に隷従しないと損するズラ!」といった卑しい欲望くらいしか持ち合わせていません。地に根ざさない異質な常識を振りかざして、自分には関係無いとばかりに、文化破壊(キャンセル・カルチャー)を行っている訳です。これは、法的には無罪でも、倫理的には凶行・蛮行と言わざるを得ません。彼らの「my常識」は、歴史的正当性も文化的正当性も、社会的正当性も科学的正当性も検証されておらず、事実や倫理的判断を希求するこだわりも無いからです。
またべつの機会に書こうと思っていますが、

偽善と差別と全体主義は倫理の敵です!!

●本来の「常識」ってなに?
「常識」といえば、よしりん先生の隠れた名著『素晴らしき哉、常識!』がありますね!
https://www.amazon.co.jp/dp/4781614965
日々のよしりん先生のブログも「常識」の宝庫です!!
そもそも「常識」とは、決して単に「大勢(多数派)が思っていること」「世間の空気」などではありません。ましてや「こう言えばいい子ちゃんに見られる!」といった処世術でもありません。コトバンクによれば、

「社 会 人 として当然持っている、持っているべきだとされる知識・判断力」

だそうです。倫理的な視点で加えれば、固有の歴史や経験文化や信仰に裏打ちされた共通認識や共通感覚のことです。多くの人が思っていた「ジャニー喜多川の可愛がりは大したことない」という感覚が常識です。それを海外の異質な常識(非常識)に照らして、「反省しなければならない」などと言うのは、一体なにをどう反省しているのか何も分かっていない「反省サル」でしょう。よくわからないまま「戦争ダメ!」「二度と過ちはくり返しません」(訳:降伏した方がいいズラ!二度と強い者には逆らわないズラ!)などという反戦サヨク、偽善サヨクも同じですね。
ちなみに、先に挙げた偽善者たちのことは、たぶん「社会人」とは思ってはいけないのでしょうね。いまだ何の説明もせず、何の責任も果たしていないのですから子供と同じです。

そういや、1月31日のブログで大須賀さんが
「ただし、その「普通」は、歴史の縦軸と社会の横軸の交差点に存在する「個」に備わった「常識」ではなく、空気への「積極的同調」的なものだと思います。」
と書かれていましたね!(https://www.gosen-dojo.com/blog/44848/
よしりん先生の教え、ほんとシビレるわぁ(*´艸`*)..oO
思い起こせば、戦後ずっと、歴史に根ざした文化や信仰が毀損・破壊され続け、異質な常識(非常識)の侵略・支配を全く無意識に許してきた気がします。

リベラル的に弱者でも生きられる社会を目指すのも結構なのですが、.....
昨今は、なんでもかんでも「ハラスメント」「誹謗中傷」などと言い立てて、社会全体を最低レベルの弱者や卑怯者に合わさせたり、そのために有能者を引きずり下ろしたり、テレビやSNSのように弱者を守るフリをしながら処世術の道具にして本物の弱者を冒涜したり、被害を言い立てさえすれば事実かどうかの検証すらもなく周囲が同情してくれて、何の立証責任も負わずに怠惰なままで金まで稼げる、......そしてそんな偽善者・偽弱者に同情&荷担してそういった者を増やす、......
これって、ホントに社会人として当然持っているべきだとされる知識・判断力」と言えるのでしょうか??

あ、いまふと気づいたら、「常識」に関しては、つい無限に出てきて、とても書き切れませんね(笑)


【三味線 プロフィール】
生業の道路・河川・港湾等における電気通信設備設計の傍ら、大学等で技術者倫理,エンジニアリング・デザイン(設計論)の非常勤。酒と煙草と本と映画と音楽とブラックユーモアを愛し、差別と偽善と全体主義が嫌いなノラ猫型。趣味は多趣味。ゴー宣DOJOでは主にPA廻りを担当。

 


 

 

【トッキーコメント】
私は何度か安倍晋三のことを「空っぽ」と評しましたが、考えてみれば今の日本人の多くも「空っぽ」なのかもしれません。
本来なら固有の歴史や経験、文化や信仰に裏打ちされた、共通認識や共通感覚が詰まっているべきところが「空っぽ」だから、マスコミが大騒ぎすればたやすくなびくのでしょう。
そんな人につける薬はあるのでしょうか?

 

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