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2024.2.25 07:00ゴー宣道場

「ファン」についての考察

ゴー宣ジャーナリスト・
ケロ坊さんの登場です!

 


 

誰もが「私〇〇のファンで」みたいに気軽に、かついい意味で使いがちですが、そもそも「ファン」とは一体何でしょうか?
言葉を調べると、

(主に)競技・演劇・映画、またそれらの特定の選手・俳優などに対する、熱心な愛好家。

スポーツや芸能、また選手・チーム・芸能人などの、熱心な支持者や愛好者。ひいき。
[補説]fanatic(熱狂者)の短縮形。

とありました。
まず驚くのが「ファナティック」が語源だったんですね。
確かにそういう側面はありますが、だからといって「一般的なファンも、ファナティックな信者も、全部ファンでいいじゃないか」とするのは全然よくないと思ったので、なおさら言葉の意味を考えてみたくなりました。

「ファン」という言葉については、あるミュージシャンが言っていた定義がしっくり来てます。それは「応援する人」ということです。
逆に言えば、応援できなくなったのなら、それはもうアンチ化しているということなので、さっさと執着を断ち切った方がいいでしょう。

例えば、ある芸能人のファンになったとして、最初は良かったけど、だんだんその活動が自分の理想とは違っていったとします。
そういうときに「もっと以前みたいな路線でやって下さい。これはあなたのためを思って言ってます」とか言うヤツ、ありがちじゃないですか?
これはもう応援してないので、ファンではなくなってると言えます。
おしなべて表現者は先に進むものであって、前例踏襲で同じことだけを機械のようにやってても実存は感じられないのだから、新しいことに挑戦するものです。
特にその人が、ただ心臓が動いていればいいという考えでなく、何かを成し遂げたいと考えているのであればなおのことです。
それが受け手として、観客として嫌であるなら、ずっと過去の物を見たり聴いたりしていればいいでしょう。
あるいは、新たに自分の理想のことをやってる人を見つけたほうがいいです。
まあそういう客観性もなく、孤立してて淋しくて依存してる人が粘着するんですけどね・・・。

ちなみにビジネス系の人の定義では、文句を言う人、いわゆるアンチもファンと見なしがちです。
なぜなら、お金を払ってる人に違いはないからです。
アイドルも、きっちり言う人もいますが、全体としてはアンチに寛容です。
けどこれはやはり一般人目線としては腑に落ちません。
ファンの中にはエラソーな人もいますし、明らかに愛がなくて「この人、何のためにお金払って来てるんだろう」と感じる人を現場で見かけたことはありますし、
アンチの文句で活動が嫌になったり病んでしまう芸能人もいますし、究極のところではストーキングして危害を加えようとするファンもいますから。
「お客様は神様」という考え方には問題があるでしょう。

「ファン」を表す言葉には、AKB以降に一般的になった「推す」もあります。
ウィキペディアによると

推し(おし)とは、主にアイドルや俳優について用いられる日本語の俗語であり、人に薦めたいと思うほどに好感を持っている人物のことをいう

とのことです。
ゴー宣やよしりん辻説法では
愛子さまファン
雅子さまファン
愛子さま推し
愛子さま応援団
ときめきの愛子天皇
恋闕(れんけつ)
といった言葉が出てきますが、これこそ応援している健全なファンの姿でしょう。
自称保守派が「我こそは尊皇家なり!」と威張ったところで、「アンタ、皇室を推してないじゃん」の一言で終わりなのです。
男系派は「悠仁さまを推してる」と言い張るでしょうか?それもかなり怪しいですし、それ以前に天皇陛下のご意向である生前退位に反対してた時点でアウトです。もう令和も6年になって本人たちは都合よく忘れてるかも知れませんが、思想としてはそうはいきません。

ちなみに、愛子さまファンにはいちいち秋篠宮家をサゲる人もいますが、それもファンとしてはかなり微妙と言わざるを得ません。
なぜならそんなことは天皇皇后両陛下も愛子さまも望まないのは明らかだからです。
純粋に愛子さまを応援して推しているという形になってないのはよくありません。推しの人が喜ぶことをやってこそファンなのは誰でもわかることです。
これはアイドルオタにもよく見られる現象で、“Aの人をアゲるためにBの人をサゲる”というのはあるあるですが、典型的な厄介系オタの行動で、みっともないのでやめましょう。

さらに『天皇論』などでも言及される「やっていただいている」というのも、あるべきファンの姿勢と言えます。
これは見た目に自由なミュージシャンだとわかりにくいので(本当はロックスターでも「その役割を続ける」という制約はあるのですが)、アイドルで考えるとわかりやすいです。
制約の多いアイドルという役割を“やってくれている”のだから、オタク側に文句を言う筋合いはありません。
それに対象の子の卒業や引退に反対することもできませんし、活動継続を強要することもできませんし、活動中に卒業や引退に怯えることも意味がありません。
スキャンダルが嫌だったならファンを止めればいいだけです。「どうしてだよぉぉ!」とか言い出したらストーカー一直線です。
ファンにできることはただ応援することだけなのです。

皇室の方々も、ご本人がやりたくないと思われたらそれまでというのは、これまでのゴー宣DOJOの議論でもよく出ています。
国民としてやれることは、人権が制約されまくっている自由のない立場を“やっていただいている”ことをありがたく思って応援することだけです。
ここに反論があるとしたら、無理やりやらせるということでしょうか?それのどこがファンですか?
この点を自称保守・男系派は全くわかっていません。
なぜそうなるかと云えば、男系派にとってはその名の通り男系血統が全てで、実は皇統のことも皇室のこともどうでもいいと思っているからです。
以前もマウント取りしかできない残念な人が“ときめき”を笑ってましたが、それはその人の普段の言動の通り、皇室に対して全く愛情も興味もないことの表れでした。
その人に限らず、情緒が欠如しているのが男系派・ネトウヨの本質であって、全ての間違いの始まりで、最初が間違ってるから、そこから後も全部間違ってるわけです。
だから「男子を産め」という圧力をかけ続けることになる上に、もし女性宮家ができて愛子さまが結婚後に皇室に残ったとしてもその夫や子供は皇族ではないとする外道としか言いようがない「男系」を、自称保守と左翼(極左)は手を組んで皇室に押し付け続けるという構図があるわけですね。

皇室の話になると熱くなってしまいますが、今回はあくまで「ファン」というものの考察なので、話を戻します。
ここまで、「応援」「推す」という言葉にこだわってきましたが、さらに「応援とは何か」と云ったら、助けること、はげますこと、加勢することであって、それは対象の活動が続くように願ってのことです。
まず相手(他者)のことを想って、それが回り回って自分のためにもなるから、保ち守りたいという行動になるわけで、一番が「私のために」では絶対にありません。
美輪明宏も「愛とは相手の幸せをただ願うもの」と言ってました。
『戦争論』にも「女性は「君のためなら死ねる」と言える男としか結婚してはいけない」とありましたよね。
続けて「「自分のために」を超えたところに「国=公」が表れる」ともあるわけで、「自分のために」=「私」では話にならないのです。
推して応援するとはそういうことでしょう。

この感覚を国まで広げるなら、「日本という国が続くように」と思うのが公の感覚ということになります。
前回取り上げた『文明論之概略』も、日本が千代に八千代に続いて欲しいという想いがあるからこそ、「国が独立していることが大事だ」と訴えているわけです。
国家でも、皇室でも、文化(音楽や芸能人)でも、ファンであるなら、それが続くようにと思っているのかどうか、そしてその責任を持って言っているのかどうかが肝心です。
逆に、推しの未来を想っていないのなら、なぜ口を出すのでしょうか?そこを認識していないからアンチという名の思想ゼロのゾンビと化していくのです。

繰り返しになってしまいますが、男系派は皇室のファンでも何でもなく、そこにあるのは「天皇のことを語っちゃってる俺スゴイ」というカンチガイであり、“構ってちゃん”としての己の欲望だけです。
例として挙げた
「もっと前みたいな路線でやって下さい。これはあなたのためを思って言ってます」
↑こういうアンチと同類です。そんなものが保守であるわけがなく、自称・保守であり、ニセの保守ということになります。

さらに言えば、守るために闘うということはあっても、叩くこと自体が動機になってるのはヤバい人です。
だからファンの中のアンチの割合も、日本国民の中での男系派の割合も少ないのです。どちらも全体の5%程度でしょう。

「ファン」という言葉についていろいろ考えてきましたが、「芸能と国家や皇室のことを一緒くたにするな」とかいう声が聞こえてきそうですね。
けど実際にそれをやってる人はいたじゃないですか。
故安倍晋三のファンとか、教祖のファンの集まりのカルト宗教とか、権力者に絶対服従の公務員とか、非加熱製剤やコロナワクチン含めた医学を盲信している医者とか。
それらは結局どういう結果をもたらしたでしょうか?
公に害を与えるレベルになると、もうファンとか言ってる場合じゃなく駄目でしょう。それをどう判断するかと言えば、やはり「個と公」が試されます。
そもそもどんな政策をやるのかが肝心な政治家を、“キャラクターが好き”とかで判断してたら、国が良くなるわけがありません。
まして日本は権威と権力が分かれていて、将軍は自らを神聖視させることはできなかったのだから、政治家をアイドル視してファンになってしまうのは、日本の国柄・国体をわかってない人ということになりますね。
福澤諭吉がやめろと言っていた惑溺です。それをやっていた人たちが保守を自称するとか笑わせてくれます。
一方で、天皇・皇室は、弱い人に優しく、日本人の良心を表していて、(政治家が全然考えてない)国の安寧を案じてくれており、ひいては権威があるのだから、ファンになってしまうのは自然であり必然と言えます。

以上、ファンとは推して応援する人ということで、芸能文化でも、皇室でも、国でも、ファンじゃない、つまりは続いて欲しいと思ってないくせにエラソーに口出してる人は根本的におかしい、というのが結論になります。

 


 

 

思想するとは、このことです!
「ファン」の一語から、ここまで深掘りができるものかと感嘆するばかりです。
もちろん、男系固執派が一切思想をしていないことは一目瞭然、…というか、あの人たちは「思考」すら完全放棄しているわけですが。(時浦)

 

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