ゴー宣DOJO

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大須賀淳
2024.3.5 08:30その他ニュース

「権力者によるハラスメント」の所在

週刊文春による、松本人志氏の「性加害」報道周辺、にわかに雲行きが変わってきましたね。文春にとって「一発アウトなんじゃ?」というような事が連発される事態となっています。

 

ちょうど「世界のゴー宣ファンサイト」で、各々のトピックが3連発で投稿されていたので、そちらへのリンクを交えながら考察します。

 

まず、自分として一番驚いたのはコレ。

 

文春は、当件を刑事事件として立証するのは不可能としっかり認識した上でやっているのが明確になりました。

 

文芸春秋の新谷学総局長は

 


「事件にはなかなかしづらいけれど、われわれからしてみると、警察に事件にすることができないならば、彼女は泣き寝入りしなければいけないのか?と言えば、そのことはないよなと思っていて」


 

と発言しています。これは、表面上は「報道機関の矜持」を示しているようなポーズですが、発言内容は「法を超えた私刑への協力宣言」そのものです。であれば、誤報が明確になった場合は最低でも週刊文春の廃刊、下手すれば株式会社文藝春秋の廃業まで見据えた「刺し違える覚悟」を持っての事でないと筋が通りません。

 

だけど、続くこの発言。


「われわれは捜査機関でもなんでもありませんから、警察と同じような、条件が全て整わなければ記事にならないわけではないので」


 

これは、言論・報道の自由を盾に、自分たちは根拠薄弱な記事を安全圏から発行できる「特権」(マスコミ権力)を持っているという思い上がりの表出でしょう。

 

「◯◯が言っていると載せただけ」という理屈は通りません。何せ、他でもない文藝春秋の「マルコポーロ」が、ホロコーストはなかったとする陰謀論文を載せた際は、即座に同誌の廃刊にまでつながりました。それと同じぐらいの覚悟で臨んでいるのでしょうか?

 

マルコポーロの件は道義的責任をとったわけではなく、ユダヤ人社会からの猛抗議で多くの広告が引き上げられるという事態にビビって、「忖度」により自ら廃刊にしただけ。より大きな力に屈しただけであり、松本人志の件は(背後にある世間なども含めた)「自分たちの権力の方が強い」と値踏みしたに過ぎません。

 

これ、権力者による加害そのものじゃないですかね?

 

さて、そこに同じタイミングで飛び出してきたのが、件の飲み会に参加していたAV女優・霜月るな氏による、文春の報道内容の否定。

 

先述の、立証責任を放棄した文春側の理屈で言えば、どんなに少なく見積もっても証言が相対化されてチャラ。実際は、「攻撃」を開始した側である文春側により大きな責任がかかります。

 

繰り返しますが、雑誌が一発で消し飛んだマルコポーロの件と本件との間に、薄弱な根拠による記事を載せたという本質部分の差はありません。ただ、マルコポーロの時は様々な大企業の広告引き上げという展開にビビった商売上の理由ですし、今回はキャンセルカルチャーの波に乗って安全に儲けられるだろうという、同じく商売上の理由に過ぎません。

 

そして(別件について色々聞いていた通り)取材の雑さに呆れるほか無かったのがこの件。

 

取材対象当人を追い回すのにも色々言いたい事はありますが、「人違い」で無関係の人に「嘘つかないでください!お答え下さいっ」とつきまとって、写真を撮りまくるって…。

 

これ、マスコミという権力者による、無関係の人への加害(しかも、文春側も行状を認めている)という大事件じゃないですか。

 

文春チャンス!他社は持っていない独占情報を元に、週刊文春によるハラスメントの告発記事が作れますよ!

 

ジャニーズにしろ松本人志にしろ、キャンセルカルチャーに乗って叩く者の論拠は「権力者の横暴による被害の告発(ただし立証は必要なく、被害者の証言を最優先)」です。

 

しかし、その「権力者によるハラスメント」が、キャンセルカルチャーの神輿を担いでいるメディア自体によって増産されているのが、もはやお笑い草にもならないグロテスクな現状。

 

この構造で、先々のキャンセル対象になる可能性が最も大きい権力の一つが「マスコミ自身」である事を「当事者」達はどこまで理解しているでしょうか。

大須賀淳

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