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ゴー宣ジャーナリスト
2024.3.12 07:00ゴー宣道場

人を動かし、時代を作る本

みなさんこんにちは!(^^)
DOJOサポーター関東支部のKです。

『日本外史』という本をご存知でしょうか。
儒学者であり書家であり漢詩人でもあった頼山陽(1781~1832)
が書いた全22巻に及ぶ歴史書です。
日本外史 – Wikipedia
山陽は、広島藩儒として登用された父の跡を継ぐよりも文章家として自由に生きたいと、21歳の時に脱藩を試みます。しかし、ほどなく京都で捕らえられ広島へ連れ戻されます。本来なら斬首、よくて切腹のところ、父の春水が藩主と親しかったこともあり自宅に幽閉されることで済みます。そして、この約3年間の幽閉期間中に書き上げたのが日本外史の草稿です。
山陽はこの草稿の推敲を晩年に至るまでやり続けたため、『日本外史』が出版されたのは山陽の没後になりました。
幕末の尊王攘夷運動に大きな影響を与えたこの『日本外史』は倒幕派に限らず佐幕派にも人気がありました。
新選組局長、近藤勇は自ら書いた漢詩の落款に「近藤外史」と書くほどの山陽ファンでもありました。

【新選組】近藤勇詩書 (adeac.jp)

では、なぜこれほどの人気があり武士の誰もが読んだのでしょうか。
私はその理由の一つとして、エンタメ性を挙げたいと思います。
源平時代から徳川期に到るまでの武士の歴史が漢文で書かれている『日本外史』ですが、その歴史の各場面が目に浮かぶようなリアル感を持って表現されているようです。
例えば「本能寺の変」で有名な明智光秀の名セリフ
「敵は本能寺にあり!」
これも『日本外史』からの書き下し文です。
人気のもう一つの理由は、『日本外史』を通じて「武士は天皇の臣下であり、天皇のために存在している」と自覚させるものがあったからではないでしょうか。そして、その自覚が武士たちを動かし、新しい時代を作ったのだと思います。
私は、この人を動かし、時代を作る本の力を小林先生にも感じます。
山陽は、新しい時代を見る前に亡くなりましたが、小林先生には存命中に新しい時代(愛子皇太子)を見ていただけるよう動いていかなければと痛切に思います。

 


 

『日本外史』は同時代の知識人からは批判が多かったようですが、そのあたりも『ゴー宣』と重なるような感じがしますね。
『ゴー宣』は後世において、どう語られているのだろうと軽く想像しながら、みんなで新たな時代を作っていきましょう!(時浦)

 

 

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