ゴー宣DOJO

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トッキー
2024.3.29 11:39

『ゴー宣』は「バトル漫画」か?

カレーせんべい氏が生放送で、「ゴー宣はバトル漫画」「ゴー宣もドラゴンボールと一緒」と言い出し、ギャラリーも全員それに賛同して盛り上がっていて、これに同意する感想も出ているようですが…

全然違います。

ライジングVol.498の「鳥山明の戦闘漫画に敬意を表する」をちゃんと読んだのでしょうか?
その前に、ゴー宣のどこを読んでいるのでしょうか?

よしりん先生が、「戦闘漫画は嫌いだが格闘漫画は好きだ」として、「戦闘漫画」「格闘漫画」を分けて書いている意味を考えなかったのでしょうか?

じゃあ、『はじめの一歩』も『あしたのジョー』も『ドラゴンボール』と一緒ということになるのでしょうか?

格闘漫画は「どんな練習をして、どんな技術を修得して強くなっていくのかといった理屈がわかる」から好き。
戦闘漫画は「なぜ強くなるのか全くわからないけれど、戦闘がエスカレーションして、果てしなく強くなっていく」から理解できない。
と、よしりん先生は書いていますよね?

格闘漫画は、そうやって修業が描かれることを通して、人間の成長とか、精神性とかが描かれるのです。
戦闘漫画は、人間が描かれず、ただ強くなるのです。だから飽きるのです。

確かに格闘漫画にも戦闘漫画にもバトルは描かれます。
しかし格闘漫画はバトルを通して人間が描かれるのに対して、戦闘漫画は人間が描かれず、バトルだけが描かれるのです。

バトル「を通して、テーマを描く」のが格闘漫画。
バトル「だけを」描くのが戦闘漫画。
と言ってもいいでしょう。

確かに『ゴー宣』はずっと戦ってきたし、これからも戦っていくでしょう。
でも、『ゴー宣』はバトル「だけを」描いてきた漫画ですか?
ゴー宣の戦いは、単に戦いのための戦いだったのでしょうか?
「何のために」戦っていたか、それこそが最も重要なのではありませんか?

「バトルがあるから一緒」だなんて、そこまで表層的なことを言って、それに誰もツッコミを入れずに、みんなで盛り上がっている様子を見て、私は愕然としてしまいました。

前半の「初見読み」が凄かっただけに、この落差は一体何なんだろうと思ってしまいます。

トッキー

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テーマ: ゴー宣DOJO in広島「原爆の悲惨さはなぜ伝わらないのか?」

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