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2024.3.31 07:00ゴー宣道場

大陸祖父の戦時話②凍ったマントウと水だけ野菜スープから八路軍(当時)のポリシーを観る。

皆様、こんにちは!公論サポーターのアラフォー女子介護士のランランと申します。

今回は大陸祖父の戦場話についてご紹介したく思います。

幼少時、私は祖父と一緒にほぼ毎日戦争映画を観て過ごし、祖父いわく、国民党と闘うところは結構当時の感じで良いと評判でした。(日本軍の描写は奇天烈過ぎて大笑いしてました)

大陸の戦争映画のフレーズで、良く八路軍兵士の掛け合いで聞くのは「俺達は凍ったマントウを食った仲だ。」の言葉がありました。マントウとは具無しの白いただのマンジュウを指しますが、八路軍のソウルフードの一つに数えられます。日本の同じ釜の飯を食うと同じ意味合いとカチコチの凍ったマントウを食うほどの激戦と艱難辛苦を共にしたと言う意味が含まれます。

祖父いわく、当時はマントウはご馳走に含まれて、飯を食える時間は貴重だと言っていました。確かにあったかい飯はもとよりまともに食べる時間も量もないゲリラ戦中で、食料調達は命綱だとも有りました。

実際、ゲリラ戦争時に、腕に覚えがあり、素早い人は兵糧を盗んで調達する事があったようで、食料調達に祖父の親戚が日本軍の兵糧庫に忍びこんで逃走失敗して討たれたと聞いた事があります。彼は祖父の家系の中医(漢方医)と武術家をしていたとあり、あたら戦闘力ある有能な兵士を盗みで死なせるのはどうかと思いましたが、八路軍にとっては重要な命令だったそうです。

一方敵対していた国民党はアメリカの支援もあり、色々物資が豊富で食料も蓄えていた為、八路軍はスパイが調達したり、現地強奪やらで必死でした。その中で祖父が自分や部下に振る舞ったのは野菜ぶつ切りの水だけスープでした。死線をくぐり抜け、再び食べれる身に染みる味だったのか、戦後も祖父は故郷のソウルフードの餃子と八路軍ソウルフードのマントウと野菜ぶつ切り水だけスープを作って生涯食べていました。時々食べたくなる素朴な味です。

昔、八路軍の幹部の家庭でご馳走を食べた事がありましたが、八路軍ソウルフードのマントウが必ず出されていました。その幹部と祖父は戦場、文革(文化革命)でも共に死線をくぐり抜け、まさに「俺達は凍ったマントウを食った仲だ。」の言葉で、八路軍の兵士のポリシーを感じました。

 

 


 

 

もうおなじみとなってきました、ランランさんの大陸祖父・祖母シリーズです。

八路軍で戦っていた当事者が中国の戦争映画の日本軍の描写を見て爆笑してたというのは何ともいい話だなあと思うのですが、こういう祖父からの歴史は、中国ではちゃんと伝えられているのでしょうか、それとも日本と同様に、忘れられていっているのでしょうか?

「凍ったマントウ」は「同じ釜の飯」よりも苛酷で、それだけに絆も固くなるだろうなと思います。
わざわざ苛酷な経験などしたくもないけれど、苛酷な思いをすることがなければ、絆もそれほど固くはならないということにもなるわけで、これもよしあしだなあと思いますね。(時浦)

 

 

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