ゴー宣DOJO

BLOGブログ
ゴー宣ジャーナリスト
2024.4.29 07:00ゴー宣道場

「光る君へ」と読む「源氏物語」 第2回 第二帖<帚木 ははきぎ>

「光る君へ」と読む「源氏物語」 第2回 第二帖<帚木 ははきぎ>
 byまいこ

未熟な恋を重ねていたとき、恋に破れたとき、逃げたとき、そしてどうしても自分と向き合わねばならないとき、「光る君へ」のまひろが「蜻蛉日記」などを紐解いたように、皆さまもきっと、ご自分の重ねた経験とともにある作品をお持ちでしょう。

平安時代、物語は書き写すことで広まりました。写している時に書き間違えたり、書き込みをしたりして本文が分かりにくくなったり、無くしてしまったりして、今は散逸して読めない、題名だけが伝わっている作品もあります。「源氏物語」は、藤原定家が書写し、本文を整えた「青表紙本」をはじめとした写本が伝わっていて、今も読めるのは有難いことですね。

「蜻蛉日記」は、道綱の母(「光る君へ」は道綱・上地雄輔さん 母・寧子・財前直見さん)が書いた日記で、「なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心ちするかげろふの日記といふべし」「(兼家と結婚して十五年目の日記から こうして年月は経っても、思い通りにならない身を嘆いていて、年が変わっても喜ばしいこともなく)
やはり何となく儚い身と思えば、あるかないかわからない心地がする、かげろうのような日記ということになろう」という日記の本文から、題名がついています。

「妾はつろうございますから、できることなら嫡妻(正妻)になられませ」「高望みせず嫡妻にしてくれる心優しき殿御を選びなさい」と「光る君へ」で寧子はまひろにアドバイスをしました。

「蜻蛉日記」には、道綱を生んだ後、浮気されたり、兼家の訪れが間遠になったり、自宅の門前を素通りされたりという記述があります。また、道隆、兼道、道長と、兼家の正妻から生まれた息子たちは、摂政に上ってゆくなか、道綱は次男ながら、摂政にはなれませんでした。「光る君へ」で寧子が兼家の耳元で「道綱、道綱」と猛アピールしていたのはコミカルでしたけれども、正妻ではない自分の身のはかなさをつらく感じていたのですね。

「源氏物語」には、正妻になっていないが故に、立場が弱く、嫉妬に苦しむ女性や、文は交わしても距離を置いて関係を持たない女性が登場します。まひろが紐解いた作品や、経験から、「源氏物語」が生れてゆく過程を辿れるのもドラマの見どころのひとつ。

今回のヒロインは、紫式部本人が、もっとも反映されていると言われる女性です。

第二帖 <帚木 ははきぎ>(遠くからは、ほうきのように見えるも、近づくと見えなくなる伝説の木、姿は見えるのに会えないこと)

元服して5年、17歳になった光る君は、幾人かの女性と関係をもっているものの、気位の高い正妻の葵上とは馴染めず、あまり訪れようとしません。葵上の兄で親友の頭中将(とうのちゅうじょう)も、右大臣の四女を正妻にして上手くいっていないのですが、父の左大臣が心配しているので、五月雨を口実に宮中で宿直を続ける光る君のもとにやってきました。厨子(扉付収納庫)から恋文を取り出し、相手は誰かなどと話すうちに、ほかの同僚も集まってきて女性の品評会・「雨夜の品定め」が始まります。

高貴な家柄から落ちぶれたり、受領(地方長官・知事)に任命されて成りあがったりした中流の家の女性たちの様々な話が続くなか、頭中将は娘までなした恋人が正妻におどされ、なにも言わずにいなくなったと告白します。しどけない様子で皆の話を聞く光る君は、女性にして見ていたいほど美しく、自らの恋は明かさないものの、心のなかで義母・藤壺を恋しく思うのでした。

翌日、光る君は左大臣邸の葵上を訪ねますが、方角が悪いと教えられ、受領の紀伊守(きのかみ)の邸に方違え(かたたがえ 陰陽道で外出先が悪い方角のとき出直すこと)しました。紀伊守は伊予介(いよのすけ)の息子で、赴任中の父の後妻・空蝉(うつせみ)を世話しており、中流の女性に好奇心を持った光る君は、空蝉と関係を持ってしまいます。再会を望んで空蝉の弟・小君(こぎみ)に文を託すも、空蝉に拒絶される光る君。がっかりしつつも「おまえはわたしを見捨てないでくれよ」と小君を傍らに寝かせるのでした。

「光る君へ」で道長、斉信、公任が囲碁をしながら恋文を広げたり、打毬の後に雨が降るなか女性を評するシーンが、まさに「雨夜の品定め」と話題になりました。古今東西、老若男女問わずのことですね。

方違えについて、実は光る君は葵上に逢いたくなくて、わざと方角が悪い日に左大臣邸に行ったのでは?というパロディを田辺聖子氏が書いています。「光る君へ」で道長が一条天皇の即位式に不吉なことが起きても物ともしていなかったり、陰陽師が事あるごとに藤原家に利用されている様子も描かれているのは、吉凶を気にする人と、利用する人がいたということでしょう。

帚木・ははきぎ「姿は見えるのに会えないこと」が表すのは、一度の逢瀬の後は会えないままの空蝉であり、「はは」が「母」に転ずることから、12歳で元服するまでは親しく会えていた義母・藤壺でもあると思われます。正妻の葵上は、光る君に想い人がいることを察していて、心を開いていないのかもしれません。

17歳で義理の母と関係を持つのは、随分と早熟のようですけれども、藤壺は5歳年上なので、17歳と22歳の恋は、十分に可能。一条天皇と中宮定子は、ちょうどこのくらいの年の差です。

「光る君へ」はドラマなので顔を見せないと成立しないためか、男女が顔を合わせるシーンがたくさんありますね。「源氏物語」は、光る君が顔を見ないままに関係を結ぶことも多く、その一人が空蝉です。「雨夜の品定め」で、中流の女性への興味が高まっているところに、チャンス到来。小柄な空蝉を抱きかかえて別室に連れてゆこうとする際に心配してついてきた侍女に「夜が明けたら迎えに来なさい」と言い捨て、ことに及びます。

光る君の行動については賛否あると思いますけれども、17歳の大スターが同じ屋根の下にいたとしたら、現代でも大盛り上がりになることでしょう。チャンス到来と思う人もいるのでは?問題なのは、空蝉に夫がいることですが、次に会うことを拒絶していても、光る君に歌は返しています。

数ならぬ 伏屋に生ふる 名の憂さに あるにもあらず 消ゆる帚木 空蝉
つまらぬ家に生える その名が辛くて はかなく消えてしまう帚木 それは私

会わないけれども、忘れて欲しくないという心情が伝わってきませんか?

ラストの場面は、第三帖「空蝉」の冒頭に続き、空蝉の体の小ささや、髪の手触りなどが小君に似ているという描写があるため、光る君が小君を傍らに寝かせるのは、少年愛という見方ができるように思います。「雨夜の品定め」の際に、光る君の美しさが「女性にして見ていたい」と表現されているのは、現代でも美しい少年を「女の子みたいに可愛い」と感じるのと同じ。性の境界が曖昧なのは1000年前も一般的な感覚なのでしょう。

 

【「源氏物語」ゆかりの地めぐり・梨木神社&廬山寺】
光る君が空蝉と出会う紀伊守の邸(紀伊守にて親しく仕うまつる人の中川のわたりなる家)は、かつて「中川」が京都御苑の東側、寺町通を南下していたことから、梨木神社か、もしくは紫式部が住んでいた父・藤原為時の邸跡・廬山寺のあたりとされています。廬山寺には源氏庭がもうけられ、夏は紫色の桔梗の花が美しく咲いています。☆廬山寺から北へ10分ほど歩けば、豆大福の名店「出町ふたば」があります。

 


 

 

第1回から好評いただいておりましたが、今回はよしりん先生の質問・アドバイスを受けてさらにわかりやすく、面白くなりました!
コンセプトは「アホでも分かる源氏物語」。実にありがたいです!
次回もどうぞお楽しみに。

ゴー宣ジャーナリスト

次回の開催予定

第117回

第117回 令和6年 5/25 SAT
14:00~17:00

テーマ: ゴー宣DOJO in大阪「週刊文春を糾弾せよ!」

INFORMATIONお知らせ