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2024.5.5 07:00ゴー宣道場

私のコロナ回想記

私のコロナ回想記 byにしやん

 

お正月気分もようやく抜けた2020年1月中頃、中国、武漢で謎の肺炎が流行っているというネットニュースに、私はいち早く反応した。

私には子供の頃から免疫系の持病があり、その治療の性質上、医師からは「感染症には気をつけるように」と常々言われていた。重症化する可能性があるからだ。
なので毎年冬になるとインフルエンザを恐れていたし、細心の注意を払いながらその動向を調べていた。
だから未知のウイルスの流行というニュースに、私は正直、恐怖を覚えた。

だがそれでも毎日、ぎゅうぎゅうの満員電車で通勤し、出社して働かなければならない。
3月中旬頃まで、感じたことのない恐怖を伴う緊張感の中で日々を過ごしていた。

しかし世間の騒ぎをよそに、自分も会社の人間も友人達も、一向にコロナに罹る気配がない。
何かおかしいと思い始めた。
1400万人都市である東京で、密にならずに生活する事など不可能だ。なのに、まだ知り合いでコロナに罹患した人は一人もいない。
そして私は、毎年怯えていたインフルエンザとコロナとを比較しながら、色々と調べ始めた。

同年4月、国内史上初の緊急事態宣言が出されて以降の国内の狂いっぷりは、皆さんご存知の通りだ。

ずっと以前からネットやSNSでは醜く恐ろしい人々の本音が溢れていたが、コロナ禍ではそれが現実の世界にも顕在化した。

人々は感染者を犯罪者のように探し出し、その行動を暴き、徹底的に叩いた。誰かを、特定の職業を、特定の地域をスケープゴートに仕立て上げないと、自分達の不安をどうにも処理できない心理に陥った。

私はこの状況にかなり絶望していた。
インフルより死者の少ない感染症のコロナなんかより、この醜い世界の方が私にはよっぽど恐ろしかった。

そして翌年にはワクチン接種が始まり、更に狂っていく世の中に絶望感は増した。
ワクチンに対する考え方で、家族間でも友人間でも会社でも意見は異なり、孤独感と絶望感は増すばかりだった。
どんなデータを以ってしても、どんな例えを出しても、親一人、説得することができない自分の無力さに打ちのめされた。

ワクチン拒否をした私は、主治医にも呆れられた。「好きにして下さい。でも重症化しても知りませんよ」という言葉とともに。

私は持病の患者会に入っていたが、やはりそこでも孤立した。
患者会担当の医師は「免疫力なんて曖昧な言葉に騙されないように。免疫力よりワクチン一択。」と嘯いた。
その医師は自分のクリニックの全スタッフにワクチンを打たせた。すると、大部分のスタッフに副作用があらわれ仕事にならなくなったため、診察時間を短縮するという事態に陥っていた。

バカバカしい、そんなの本末転倒じゃないか。なんて無知で傲慢な医師なんだと心底軽蔑した。
そしてなにより私を絶望させたのは、同じ患者会の人達が、コロナ感染者を差別した事だった。

普段患者会は、自分達の病の認知度を上げ、病による差別をなくそうと、世の中に対して啓蒙活動を行っている。なのに恐怖に飲み込まれた人達は、すっかり冷静さを失い、他の病を差別し始めた。
おまけにワクチンを打っていない人間は今後の勉強会や意見交換会にも参加不可と通達してきた。
なんという欺瞞だろう。
なんという愚かさだろう。

冷静さを失った人々に、データや科学は通用しない。根拠なき恐怖の方が力を持ち、ほとんどの人が正義ぶった同調圧力で、人を差別することがよくわかった。だったらいつか、そういう人々から、今度は自分達の病が差別される対象になるかもしれないと、なぜ想像出来ないのだろうか。
自分達だけは常に傲慢な弱者でいられるとでも思っているのだろうか。

私は、患者会から離れることを決めた。

三年続いたコロナ禍は、全て忘れたいほどに私には辛いことばかりだった。あっという間に迫り来る全体主義に流されないよう、正気を何とか保ちながら、両足を踏ん張って立っているのが精一杯だった。
いまも、コロナ禍の一つ一つを思い出そうとする度に、胸の奥がひどく苦しくなる。

だけど、あの3年間を無かったことになど出来ない。
ここまで無責任に、大人達が他人や子供の自由、尊厳を奪い、無自覚に人を傷つけ続けた社会を無かった事にはさせてはいけない。

今後、また未知のウイルスが流行ったり、本当の緊急事態に陥ることもきっと起こり得るだろう。

その時、マスコミも専門家も、そして何も考えずにそれに洗脳された大衆も、また同じことを繰り返すのか。
それともコロナ禍を教訓に出来るのか。

私は定期的に、幾つかの検査を受けるため通院しているが、いまだに病院に入る前には強制的に機械からプシューっと噴霧される消毒液で手の消毒をさせられる。
なのに血液検査の採血で針を刺す前に、毎回看護師がロボットのように聞くのだ。
「アルコールで拭きますが、かぶれたりしませんか?」

今なお続く無意味でおかしなルール、そして世の中に対して、私が出来ることは何なのか。
明確な答えが出せないまま、今もずっと考え続けている。

 

 


 

 

間もなく、新型コロナの感染法上の分類が5類に引き下げられてから1年が経過します。
5類移行は少なくとも2年は遅く、その間に失われたものは限りなくあります。
しかし、それを誰も総括しようともしていません。
私もさすがに、ここまで世の中の人が何も考えていないとは思ってもいませんでした。
以前から、世間の7、8割の人はモノを考えていないと思ってましたが、コロナ禍の3年を経験して、9割9分は考えていないと思うようになりました。
何も考えない人に、考えろと言ったって考えるようになるわけもなく、どうすればいいのか、どうにかできるのかという問いは堂々巡りを繰り返すばかりです。

 

 

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