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トッキー
2024.5.14 11:57生放送

一曲の歌から、時代の、社会の、人の変化まで話が拡がる「歌謡曲を通して日本を語る」感想ご紹介!

時間が経つにつれさらに思考も深まる
歌謡曲を通して日本を語る#9
『コンプラ違反曲がなぜ悪い?』
感想ご紹介です!

 


 

【にしやんさん】
しかし歌の持つ力って凄いなぁと思います。

様々な男女のドラマや人生ドラマを、歌詞とメロディに乗せて歌い手が歌う。
聴き手はその数分の中で、自分の人生や経験を重ね合わせたり、物語の主人公になって想いを馳せたり。

なんて豊かな時間なんだろうと思います。

コンプラだのなんだのでギャーギャー喚き、規制をしキャンセルしていく人達は、その事がどれだけ人間の人生を貧しく味気のないつまらないものにしていくか、考えも及ばないのでしょう。
だから当然物語も紡げないし、演じることもできない。
ペラペラな薄っぺらい上っ面だけの感情しか知らず、ただただ自分の主張だけを他人に押し付ける人間となるのでしょう。

知っている曲、知らなかった曲含めて、それを先生が歌い、語る事で、この番組から色んな気づきを与えてもらえます。
翌日はずっとその曲が頭の中をリピートします。

90分間、立ちっぱなしだったよしりん先生、その先生を気遣いながら明るく元気に司会進行するチェブリンさんがすごく印象的でした。
チェブリンさん、ピアノがどんどん上手になっていっていてすごい!
大須賀さんの演出もますます凝ってきて観ていてとても楽しめました!
今回、映画みたいに画像が綺麗でした!

次回もまた、首を長くして待ってます!
ありがとうございました!

 

【メッコさん】
タイムシフトで「歌謡曲を通して日本を語る」拝見しました。
黒の舟歌からカサブランカダンディにかけて喉の調子がぐっと走ってきましたね。
カサブランカダンディの「パントマイムを演じる」「つらい芝居を続ける」のキーワードは男女論に限らずとても重要だと思いました。
役割を選んで演じる、物語の中で生きる、という事を解体してしまったら強者も弱者も結局ニヒリズムに耐えられず人々は「ジョーカー」になるしかなくなるだろうと思うからです。
本音も建前も取っ払ったケダモノ・狂人の増加はインターネットのおかげでたくさん見ることができるようになりました。
そうならないようために豊穣かつ多層的な文化というものが人間には必要なのでしょう。

浜省の『丘の上の愛』
これは誰の視点に立った歌なのだろうと思いましたが、3人の登場人物の誰でもない。神の視点で誰かが見ている感じですが……ウーン。狂気と言われれば、ちょっと穿ち過ぎかもわかりませんが、女性を狂気へと解き放つ歌なのかなあと。富裕だけど気だるい日常生活に倦んでいる女性を「純愛」に目覚めさせ、破滅的な愛、どとーの愛(!)に導こうとしているようにも聴こえます。もしくはそんな自分の状況を慰撫して鼓舞しようと造り上げた視点なのかも。とんでもなく不幸になる可能性は高いですが。まあそれじゃ神の視点じゃなくて悪魔の視点かもしれませんね笑

 

 

【NAOPPUさん】
浜田省吾ファンクラブ会員番号079087番、NAOPPUです。「丘の上の愛」がこんなふうに熱く語られているなんて!!!日本中どこを探してもここだけですよねー!最高です。

よしりん先生の熱唱は、この歌への思い入れの強さを感じさせました。

そしてチェブリンさんのピアノ、最高でした。この曲のピアノはニッキー・ホプキンスというアメリカのプレイヤーが演奏しており、当時、彼は浜省を非常に高く評価し、いつか一緒にツアーをしようとまで言ったそうです。(実現しないまま、彼は1994年に死去しました。)

その名演奏をしっかりとコピーしていたチェブリンさん、すばらしい!!!

1994年7月(当時、浜田省吾・41歳)の「BRIDGE」という雑誌で、浜田省吾と渋谷陽一氏の対談が載っていますが、「丘の上の愛」について、浜田省吾がこのように語っています。皆さんの思想の幅を広げるのではないかと思い、引用させていただきます。

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丘の上の愛」はロサンゼルスに行かなかったら書けなかった詩で。例えば「マンション・オン・ザ・ヒル」とかっていうような洋楽があるじゃないですか。例えば日本ではブルジョワたちが丘の上に住んでるっていうイメージはないでしょう。でもロサンゼルスってのは見事にマリブとかビバリーヒルズとか丘の上に家を建てて、街を見下ろすと巨大な浪費をしてるクリスマスツリーのような、海の底のような街が広がっているわけじゃないですか。

で、僕もちょうどジェームズ・ディーンの「理由なき反抗」に出てくるグリフィス・パーク天文台があるでしょう、そこへ夜行ったんです。そうすると、まさに丘の上から金持ちたちが街を見下ろしてて、同じように貧しい人たちが金持ちたちを見上げているっていうのがはっきりわかったんですよ。だからジャクソン・ブラウンの詩とか当時のウェストコーストのシンガー・ソングライターたちの書いていた詩ってのがほんとに理解できたんですよね。

だからこの「丘の上の愛」も、『ああ、そういうことなんだなぁ』っていう、それでこういう詩になるんですけど。で、この詩を書いたときに、ほんとに今でも覚えているんだけど、『こんなラブソングってないよね』って言われたのを覚えているんですよ。レコード会社の人だったかラジオ局の人だったか、『こういうのって日本にないよね』って言われて。

で、確かにその通りなんです。ロサンゼルスで作った歌だから。でも、1980年代になってすごくリアリティーを持つんですよ。だから、この歌を作ったときに思ったのは、作品のリアリティーっていうのは現実じゃないんだと。

現実って、朝起きて歯を磨いてトイレに行ってというのがリアルだと。ホントの作品の上でのリアリティーってのは、現実と幻想と希望と意志と理想っていうものがごちゃ混ぜになったもの。それが作品のリアリティーなんだなっていうのは、この「丘の上の愛」を書いて、日本に帰ってラジオ局のディレクターかなんかに、『これは日本じゃリアリティーのないラブソングだよね」って言われたときに、逆にそれがリアリティなんだって思ったんですよ。

で、80年代後期のバブルの時代になったときに、ほんとにリアリティを持ってきたっていうのかな。そういう意味では「丘の上の愛」ってのは、すごく思い出深い詩なんです。
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僕がこの浜省のインタビューを読んだのは高校生の時でした。中学生のころからこの曲が大好きでよく聞いて歌っていましたが、このような背景を知り、より味わい深く感じました。

僕は、「金よりも、愛をまっすぐに見て、愛に生きろ」と、この歌い手が、冷たいベッドにいる女性に対して言っているのだと解釈しました。この歌い手は第三者で、俯瞰でこの女性を見ており、女性に対して、「氷のような腕の男を捨てて、丘をかけおりて、純粋に愛する人のもとへ行くんだよ」と言っているのだと思っています。この愛する人は、「貧しい学生」かもしれませんし、そのときにはそうではないのかもしれません。

僕にとっては、この歌詞の解釈は字義通りでシンプルなもの、「金よりも愛」を歌ったものだと思っています。でも、浜省が語ったような背景があるということを知ると、より味わい深くもあります。

この曲は1980年、バブル経済が絶頂を迎えるのはまだ少し先で、その当時に、近い将来にリアリティを持つ詩を書いたすごさというのを、浜省自身も自負しているところのようですね。

よしりん先生がこの名曲を選んで熱唱されたということ、そしてそれが大きな反響を生んでいること、それがゴー宣ファンであり浜省ファンの僕としては、とってもうれしいです。

 

 

【ありんこさん】
コンプラ違反曲特集見ましたー!!!
めっちゃ面白かったです!((└(((º∀º;;┌)┘))))
こんなに色んな世界が見られる歌の世界、今このような曲が放送されないであろう事に驚きました。
歌を唄い、その曲に込められた情景と時代背景の解説、現代の問題と絡めたトーク、有体な言葉になっちゃうんですけどめっちゃ面白い!!!サイコーですね!多様で豊かな感性で生きていた国の民が、感性情感失ったらどうなっちゃうんでしょう?情感に訴えるこの方法、この手段素晴らしいですね!
先生もチェブリンさんも更にめっちゃ歌がお上手になっているし、演出の進化に毎回ビックリです。
あと、ニコニコ動画ってこれだよなーー!( *˙ω˙*)و グッ!
歌ってみた、やってみた、作ってみた、生放送でリアルタイムの反応の応酬、コレだよなーー!とも感じました。外圧に負けるなー!って思いました〜。

 

 


 

 

『丘の上の愛』、たしかに80年代に聞いた時にはどこか海外ドラマからの「借り物」みたいな印象を受けた覚えがあるのですが、今じゃ完全に日本のリアルを歌った歌になっているという感じですね。
浜田省吾の「先見の明」がそれだけ凄かったということを認めるのはやぶさかではないのですが、日本の社会自体はそれだけ不幸な方向に行っちゃったということなのだと思うと、実に複雑な感じがします。
一曲の歌から、時代の、社会の、人の変化までどんどん話が拡がる、これはとんでもなく凄いことが行われているのだと実感します!!

トッキー

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