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大須賀淳
2024.5.23 08:04その他ニュース

週刊文春「ご寄付のお願い」(領収書なし)をどう見るか

週刊文春という存在と対峙した時、「開き直ってゴシップ商売してる雑誌」と見れば、腹は立ちつつも、理解はしやすくなります。

 

ところが、以前トッキーさんもGJのコメントで書かれていたように、昨年から文春は「ご寄付のお願い」を始めており、どう捉えたものか一気にややこしくなっています。

 

金額は1,500円から上限なしで、寄付を行っても紙の雑誌や電子版の購読はまた別料金という「純粋なカンパ」です。

 

説明書きで一つ気になったのが「領収書が出ない」(決済内容はPDFでダウンロード可)という点。

 

たぶん文春への寄付は寄附金控除(申告に領収書が必要)の対象などにはならないと思いますが、あらゆる商取引において「領収書は出ない」などと言われる事はほとんど無いので、どうしても違和感が拭えません。

 

確かに現在は、動画配信の「投げ銭」や「クラウドファンディング」など、商品売上という形以外での「応援経済」的な行為が盛んになっています。

 

私も以前、ドキュメント映画の制作のためにクラウドファンディングを募った事があり、当初目標額を上回る応募をいただいた経験があります。ただ、その時は出資額に応じたリターン(特典)を最初から設定し、資金の使途も「英語版の翻訳費用」「上映イベントの開催費」などかなり明確に開示しました。

 

これは自分の誠実さをアピールしたいわけではなく、「寄付金」は通常の商品売上などより「想い」要素がとても強いので、対峙する上でちょっと別種の緊張感があるんです(「開発費」という曖昧な括りで多額の出資を募った上で大モメになった件も色々と見ているので)。

 

なので、成功体験があるからこそ「クラファンを含む寄付募集は、短期、単一の明確な目的で」というのを絶対の信条にしています(おいそれと出来ないので、前回大成功だったのにそれから10年行っていません)。コロナの意見広告運動も、まさにこんな姿勢だったと思います。

 

さて、話を文春に戻すと、「報道機関」を自称する企業がこんな曖昧な寄付なんか募って大丈夫?という心配が当然出てきます。実際にやるかどうかと関係なく、大口の寄付があった先に「手心」を加えてるのではという疑念を持たれるでしょうし、たとえば特定の宗教団体の信者が個人名で分散して寄付を行い「ステルス大口出資者」になる的な事があれば、一気にメディアとしての足元をすくわれてしまう危険もあります。

 

「雑誌が売れなきゃメシの食い上げ、切った貼ったのヤクザ稼業」的な緊張感の中で、下半身スキャンダルを追うのはまだある種の「バランス」がとれていると思いますが、「正義」を背負ったような謳い文句で集めた寄付(なぜか領収書なし)で行われるものって果たして「報道」なのでしょうか

 

文春は、寄付プランが好調だという事を「プレスリリース」でPR(つまり広告)しており、それを読むと「メディア向けに、今回紹介した寄付プランの可能性や、週刊文春取材の舞台裏を解説するセミナーも随時開催予定」との記載もあるので、このビジネスモデル自体のコンサルティングなどを事業にして行く意図もありそうです。

 

少なくともこの流れからは「出版というビジネスの未来」とは全く異なる、奇妙な禍々しさばかりが感じられてなりません

大須賀淳

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