構造改革、働き方改革、三位一体改革、行政改革、規制改革、選挙制度改革、社会保障制度改革、税制改革、年金制度改革、教育改革、医療制度改革、地方分権改革、公務員制度改革、電力システム改革、農政改革、経済財政運営と改革の基本方針 (骨太の方針)、国連改革、安保理改革、国会改革、社会保障と税の一体改革、都政改革、身を切る改革、地方財政改革、地方公務員制度改革、地方議会改革、大学入試改革、医療提供体制改革、社会福祉法人制度改革、障害者福祉制度改革、働き方の多様化が進む中で求められる雇用制度の改革、家族制度改革、法曹制度改革…
あーキリがない!止めっ!
上記は、日本の政党や省庁などが掲げた「改革」という言葉のつく政策やスローガンを列挙したものですが、ネットでちょっと調べるだけで無限に出てきます。
これを見ると日本人はよほど「改革」が大好きなのか?と思いますが、実際には皇位継承の男系男子固執を皮切りに、もはや「因習」と化している制度や観念ばかりが残っています。
これはまことに「怪奇」
この「改革のカイは怪奇の怪」状態は、なぜ生じてしまうのか?
真っ先に浮かぶのは、改革という言葉を使うだけで「なんだか斬新(ざんしん)な感じがする!」という安易な理由。中身は二の次で、インパクトを示して票や予算を集めたい!というのが本音でしょう。
しかし、奇抜さを求めて濫用した結果、「改革」という言葉が没個性の象徴のようになってしまったのは、なんとも皮肉で滑稽な構図です。
最近の、選択的夫婦別姓や戸籍に関するつぶやき合戦(「論争」という体ではない)は、こうした改革乱造への反動もあってか守旧(発言者はきっと「保守」と思っている)的な声も目立ちますが、多く場合そこには「これは因習になっていないか?」という沈着な検証を伴っていません。
「時代に合わなくなった部分を、漸進(ぜんしん:早急でなく、少しずつ)的に変える」というのは、行政のもっとも根本的な役割ですが、票や点数稼ぎのために斬新(ぽく見える)な「改革」に走る。だけど、「改革のカクは革命と同じ革」ですからね。日本では、保守を自称する政党や、お役所までが「左翼」なのか?という事になってしまいます。
皇統問題だって
A.性別を問わず、今上陛下のお子様から長子優先で継承順をつける
B.先祖が皇族だったという理由で、親の代から生まれながらの一般国民である男系男子を皇族にする
A.は皇室典範から性別の規定を除くだけの「漸進」で済みますが、B.は数代後には現在の皇族方の子孫は誰もいなくなる可能性(悠仁さまおよびその子孫に男の子が生まれなかったら即終了)のある、完全なる「革命思想」です。
斬新の「斬」って「斬り殺す=破壊する」の意味ですからね。斬新さを狙った「◯◯改革」って「NHKをぶっこわーす!」というフレーズと同じレベルです。
因習は雑草の根と一緒で、派手に表層だけを薙ぎ払ってもすぐに元の木阿弥。
DOJOも皇統クラブもフレンドリッチの会も「歌謡曲〜」も、因習の根を引っこ抜く漸進的な活動だと私は感じています。





















